北陸新幹線がつなぐもの
2024.03.01 Friday
早いものでもう3月。
今年初ブログです。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末の話をさせてください。
昨年の11月16日、私の父が亡くなりました。
こんな話ばかりで大変申し訳ないのですが、
少しばかりお付き合いいただけるとうれしいです。
![](https://img.retsta.jp/fbc/blog/sakamoto/20240301sakamoto_7.jpeg)
11月の頭に父が倒れ、そのまま入院。
2週間ほどの闘病の末、息を引き取りました。
まわりに厳しく、一方で家族に甘い父でした。
いや、「そう思っていました」。
最期の別れの時に向けて、親戚に協力してもらい準備。
父が仕事でお世話になった人も弔問してくれました。
昔の写真を見ながら、色々な話を聞きました。
仕事仲間と一緒に海外へ旅行したこと。親戚の集まりでのこと。
私の知らない話を聞くうちに感じたことがあります。
「うまく表現はできなかったけれど、父はきっとたくさんの人に
思いやりを持って接していたのだな」と。
家族にはあまりにも直接的に愛情表現をしてくれ、
時にはうっとうしくなるほどでした。
その反面、「一緒に仕事する人にもそれくらい優しくすればいいのに」と
思うことがありましたが、厳しさの中にも優しさをしっかり
織り交ぜていたことがよくわかりました。
その優しさに、まわりの人はしっかり気づいていたようです。
![](https://img.retsta.jp/fbc/blog/sakamoto/20240301sakamoto_5.jpeg)
2週間の闘病の期間、父には「生きる」ということを教わりました。
搬送時に「いつどうなってもおかしくない」と医師に言われ覚悟していましたが、
一時は状態の回復を見せてくれた父。
「優太。辛いけど、生きるっていうのはこういうことなんだぞ。」
言葉で聞くことはできませんでしたが、父から息子への
最後の教えだったように感じます。
28歳で喪主。
1年のうちに両親を失い、孤独を感じることもありました。
でも、人は一人では生きていけません。
親戚がたくさん助けてくれました。
ほんっとうにたくさん。
「戚」という字には「たよりになる、心配する、悲しむ」という
意味があるそうです。
突然のことに戸惑いながらも、いとこをはじめとする親戚は、
親のように頼もしく、親の代わりに私を心配してくれて、
一緒に悲しんでくれました。
まわりの人に思いやりを持って接していた父が遺してくれた、
一番の財産です。
![](https://img.retsta.jp/fbc/blog/sakamoto/20240301sakamoto_8.jpeg)
2人だけで海外へ行ったなぁ。
![](https://img.retsta.jp/fbc/blog/sakamoto/20240301sakamoto_1.jpeg)
![](https://img.retsta.jp/fbc/blog/sakamoto/20240301sakamoto_3.jpeg)
駅と家の送り迎えは、どんなに寝坊しても
どんなに帰りが遅くなってもいつもしてくれたなぁ。
母が亡くなった後、国立競技場へサッカー観に行ったなぁ。
![](https://img.retsta.jp/fbc/blog/sakamoto/20240301sakamoto_6.jpeg)
また一緒にフロンターレ応援しようって言ってたのに。
いろいろな思い出がよみがえります。
2024年3月16日。
北陸新幹線の金沢・敦賀間がいよいよ開業します。
私はその日、29歳になります。
関東の実家に両親はもういませんが、私を育ててくれた
大切なふるさとと、大好きな福井を一つに結んでくれる新幹線は、
かがやいた思い出をつないでくれる架け橋です。
お父さん、お母さん。すぐ帰れるようになったから。
また会いに行くね。
![](https://img.retsta.jp/fbc/blog/sakamoto/20240301sakamoto_4.jpeg)