422日 ()

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第63回図画作文コンクール 作文入賞作品

第63回図画作文コンクール 作文入賞作品

 

福井県下小学校児童および中学校生徒を対象とした
第63回福井県小学校図画作文コンクール


※作品は原文のまま記載させて頂いております  
※端末によってうまく表示されないことがあります

【小学校】2年生

銀メダル ぼっ歌の里へ行ったよ
奥出乃愛 安居小学校
ぼっ歌の里に行ったよ
安居小 二年 奥出 乃愛
わたしは、ぎふ県にあるぼっ歌の里に、お父さんとお母さんと車で行きました。
わたしが行った日は、子どもの日だったので、すごくこんでいました。いろいろなじゅんばんまちのれつがたくさんありました。
ついたら、はじめに羊にえさやりをしました。羊のえさは、せんべいです。
羊に、えさをあげるとすごく近よってきてびっくりしました。
ずっと楽しみにしていたのは、じょう馬をすることでした。前に、来た時は、こんでいて、のれなかったので一番楽しみにしていました。
わたしがのった馬は、マーブルという名前の馬でした。その馬は、茶色と白色でした。馬にのると高いところが見えるし歩くとボワンボワンしていて、かんしょくがおも白かったです。
ほかにも、牛やモルモットうさぎもいました。かわいかったです。
わたしは、どう物がすきなのでつぎは、たくさんのどうぶつがいるところに行って見たいです。

【小学校】3年生

金メダル パパのおたん生日会
小山七海帆 ろう学校
パパのおたん生日会
ろう学校 三年 小山 七海ほ
十一月十一日は、パパのおたん生日でした。朝、わたしは起きて、お部屋のドアを開けると、パパと目が合いました。パパは、
「おはよう。」
とわらって言いました。わたしは、
「おはよう。おたん生日おめでとう。」
と言いました。それから、わたしの作ったおり紙のお花と、ホワイトボードに書いたお手紙をわたしました。パパは、
「ありがとう。」
と言いました。うれしそうな顔でした。その顔をみて、じゅんびしてよかったなあと思いました。なんだか二人ともさわやかな気持ちになりました。
それから、しばらく後、パパはいすにすわってパンを食べていました。休みなのにパパはベストを着ていました。わたしはパパに、
「なんでベスト着ているの?」
と聞きました。パパは、
「今日も仕事があるからな。ベストを着ていかんとだめなんだよ。」
と教えてくれました。わたしは、パパがいつもがんばっているんだなあと思いました。
パパがパンを食べ終わった後、パパのお見送りをしました。パパはお休みなのにお仕事に行ったのでがんばり屋だなあと思いました。
夜は、近くのイタリア料理のお店で、パパのバースディーパーティーをしました。ママとパパと行きました。お話しながらおいしいごはんを食べました。その後、大好きなケーキをうきうきしながら待っていました。その時、電気が急に「パッ!」と消えて真っ暗になりました。
わたしは、「びくっ!」となりました。電気が消えたと思ったら、お店の人がろうそくの立ったケーキをもって来てくれました。うれしかったです。わたしとママは、
「ハーッピバースディートゥユー。」
と歌を歌いました。パパはにこにこしていました。
とっても楽しくていい一日でした。
来年のパパのおたん生日もお祝いしてあげたいです。
銀メダル ピザのチケット
川端悠作 北中山小学校
ピザのチケット
北中山小学校 三年 川端 悠作
クリスマスが終わったころに、ぼくのお姉ちゃんが
「ピザが食べたい。」
と、とつぜん言い出した。
「何で今ごろ?」
ってぼくは思ったけど、なんだか、ぼくもピザが食べたくなってしまっていた。お父さんも
「ピザイイネ。」
って話になったので、ぼくとお母さんでピザを買いに行く事になった。ぼくは心の中で…
「よっしゃー‼お姉ちゃんナイス。」
ってさけんだ。
お母さんは家を出る前に一つはベーコンとポテトのピザ。もう一つはマルゲリータピザを予やくしていた。ぼくとお母さんは、お店の前に着いて車からおりると、お店のドアを開けるその時、
「めっちゃいいかおりー。」
って二人の声が重なった。ぼく達は顔をみあわせて、わらいながらお店に入りお母さんが、
「予やくしてます、川端です。」
と言うと、お店の人がすぐに出来たばかりの温かいピザを二つ出してきてくれた。お母さんがお金をはらうと、わり引きチケット二まいもらえた。お母さんは、お店の人がいない時に次の待っているお客さんに
「このチケット、使われますか?。」
と聞いてわたしていた。ぼくはおどろいた。お店を出てから、
「知ってる人だったの?」
って気になったから聞いてみたら、
「知らない人だよ。」
っていう返事で、さらにおどろいた。いつも
「知らない人と話はしないでねー。」
とか言うから、ぜったい知ってるひとだと思ったんだ。
「ほんの少しのうれしい事、楽しい事はめぐりめぐる。」
というのが、お母さんの考えらしい。ぼく達はピザを食べて幸せな気持ちになった。お正月になったらぼくもお姉ちゃんみたいに
「おすし食べたい。」
ってとつぜん言ってみようかな。

【小学校】4年生

金メダル いい結果が出たマラソン大会
反保閏政 荒土小学校
いい結果が出たマラソン大会
荒土小学校 四年 反保 閏政
ぼくたちは、今年の六月にマラソン大会がありました。ぼくは、一年生から三年生までは、あまり全力を出せなかったので、今年はこれまでの反省を生かして走りたいなと思っていました。
マラソン大会のコースを走るのは、マラソン大会の他にも練習で走ります。ぼくは、練習も本番も一位を目指していました。
まずは、マラソン大会の練習です。ピストルの大きな音が出たしゅんかんに、みんながいっせいに走り出しました。おうえん席にいる他の学年の、
「がんばれ、がんばれ。」
という大きな声がぼくたちのところに届いてきました。グラウンドを走り、学校を出るとき、ぼくの後ろを走る音がどんどん近づいてきました。ぼくもそれに負けないように走りました。すると、みんなとのきょりがはなれていきました。そして、ぼくは練習で一位になりました。
練習から数日後、いよいよ本番の日がやってきました。お客さんがグラウンドや道路に百人以上いるのではないかと思いました。練習とは違い、きんちょうかんがありました。足の速いりん太ろうさんから、
「うわぁ、きんちょうする。」
という声が聞こえてきました。みんなも
「だれが一位になるんだろう。」
と言っていました。ぼくは、絶対一位になるぞという気持ちでした。
いよいよぼくたちの番になりました。ピストルの大きな音が出ました。グラウンドを一周して、道へでます。りん太ろうさんといっしょに走っていると、横から、
「がんばろう。」
という声が聞こえてきました。ぼくもがんばるぞと思いました。
しばらくすると、りん太ろうさんとのきょりがどんどんはなれていきました。今、トップはぼくです。最後、保育園が見え、学校も見えてきます。保育園のところにいた児童ホールの先生から、
「がんばれ、あと一息。」
という声が聞こえました。しばらくして、ぼくのお母さんもいました。
「閏政、最後ふんばって。」
という声が聞こえて、ぼくは最後ふんばることができました。そして、ぼくは、一位でゴールすることが出来ました。二位は、りん太ろうさんでした。はじめ、りん太ろうさんも速くて、とちゅうでおうえんもしてくれたので、今日はみんなのおかげでとれた一位だなと思いました。来年は、高学年になるので、きょりが長くなります。できれば工夫を見つけて走りたいなと思います。来年までにもっと速く走れるように、これからは体力づくりをがんばりたいです。
銀メダル 色んな人がいる中で
笹山天平 安居小学校
色んな人がいる中で
安居小 四年 笹山 天平
総合的な学習の時間に、どんな人も幸せにくらしたり、すごしたりするように体が不自由な人について学習をしてきました。ぼくたちは、調べ学習や福祉に関する体験をしました。
まずぼくは、ほちょうきについてタブレットで調べました。ほちょうきには、色々な種類があることや、ほちょうきをつけている人は、周りから見えにくくするために工夫している事がわかりました。他の人は、全身が不自由な人や目が不自由な人について調べていてそういう人達は、かなり生活がせいげんされることがわかりました。それによって、ぼくたちが幸せなのがあたり前じゃなくて、生活の中で不自由ある人もいるということを改めて思いました。
ぼくたちは調べるだけでなく体が不自由な人の体験もしました。車いすを体験して思ったことは、車いすは、自分で動かすか、おしてもらって動かすかがあります。自分でそうさするほうは、バランスをとるのがむずかしく坂道がのぼりにくかったです。おしてもらうほうは、人におされて動くということはあまり機会がないので少しこわかったけど、不自由な人やお年よりは
「こういう気持ちなんだな。」
ということが知れてよかったです。色々な種類があってそれぞれ乗る人はちがうけど自分で歩きたいだろうなと感じました。他には、車いすバスケとフライングディスクというものを体験しました。車いすバスケは、安全にできるようにベルトがあったり、ぶつかっても大丈夫なように作られていることがわかりました。フライングディスクは、やわらかくなっていて見やすくするために、はたを黄緑にしていることがわかりました。投げる方向を時計にたとえて教えるのがおもしろいと思いました。
ぼくたちはバリアフリーも学習しています。バリアフリーには、二つにわかれていて、物のバリアフリーと心のバリアフリーがあります。物のバリアフリーは、スロープや階だん昇降機など色々あります。点字ブロックやせん用の駐車場もそうです。心のバリアフリーは、体が不自由な人を理解して同じ人と考えて気づかいをしてやさしくよりそうことです。多目的トイレを使わない。点字ブロックをふまない。不自由な人を笑わない。などがでてきました。
ぼくは、この学習を通して体が不自由な人はかなり大変で動きがせいげんされるので本当に大変だと思いました。これからは、学んだ事を活かしてもっと体験をしたり、遊んだりして体が不自由な人と関わっていきたいです。この安居地区はお年よりが多いのでみんな元気で明るく楽しい町にしていきたいです。
銅メダル 体が不自由な人のために
佐々木遥生 安居小学校
体が不自由な人のために
安居小 四年 佐々木 遥生
ぼくたち四年生は、総合的な学習の時間に、体の不自由な人のことを理解したり、その人たちのためにしてあげられることを探して、行動できるようになったりするために、体が不自由な人について学習をしています。ぼくたちは、ホームページで調べたり福祉に関する体験をしました。
まず、ぼくは目が不自由なひとについてホームページで調べました。目が不自由な人は私生活が大変ということが分かりました。そのことを助けるのが盲導犬です。盲導犬は目が不自由な人をいろいろな所につれていってくれる犬です。盲導犬はハーネスという道具をせなかにつけ、そこを目が不自由な人がもつことで、盲導犬の動きが伝わり、目が不自由な人を案内します。盲導犬は、お店などにも入ることができます。目が不自由な人は、ふつうの人とはちがう道具を使うこともあります。例えば、ガードのついた包丁や、ガタガタしないようにするガスコンロの置き台などがたくさんあることを知りました。
次に、体が不自由な人に関わる体験をしました。車いす体験、フライングディスク、車いすバスケをしました。車いすに乗ってみると、思っていたより大変で、階だんやだん差は、だれかに後ろをもってもらって動かないと登れないということと、だん差はこわいことが分かりました。ねたきりの人が乗る車いすは、せもたれの角度を変えて、ねている時と近いじょうたいにできることが分かりました。車いす体験では、いろいろな種類の車いすがあり、それぞれ違うところがあることが分かりました。フライングディスク、車いすバスケでは、どんな人でも楽しめるようにいろいろな工夫をして、みんなで楽しめるようにしていることが分かりました。
最後に、バリアフリーのことについて調べて考えました。まず、身近なバリアフリーについて調べました。身近なバリアフリーは、車いすの人も通れるようにスロープにしたり、長いスロープには、おどり場を作るというスロープの工夫だったり、すべらないようにすべり止め、車いすの人も手がとどく高さにしたりする工夫があります。次に心のバリアフリーについて調べました。心のバリアフリーには、話しかけ方や体が不自由な人の前はどく、こまっている人がいたら声をかけて、サポートすることが大切です。
ぼくは、これからは、体が不自由な人をせっきょく的に見つけて、その人の様子を見て、今はどうすればその人が助かるかを考えて、それを少しだけでも実行したいです。そして、体が不自由な人とも仲良くなり、その助けになれるようにがんばりたいです。
銅メダル スリランカで知ったこと
加藤航一郎 安居小学校
スリランカで知ったこと
安居小 四年 加とう こう一ろう
ステゥティーは、スリランカのあいさつです
「ありがとう」という意味です。ぼくはスリランカで毎日この言葉を使っていたので覚えました。
二〇二三年十二月、ぼくは友だちと友だちのお母さんとスリランカに行きました。一週間行きました。飛行機を2回乗りかえて8時間で着きました。食べてねてをくり返していてつかれました。
スリランカについたらずっと雨で、しっけがすごくて暑かったです。次の日にバスに乗ってホストファミリーの家に行きました。どう路のはじにぞうがいてびっくりしました。
ホストファミリーの家にも子どもがいました。ぼくはトランプやUNOで遊びました。ごはんタイ米とおかずをまぜて手で食べるけれど、ぼくはすこしにがてだったのではしで食べました。でも米はぱさぱさしてました。スリランカの人は料理をするときまきで火をつけて料理をしていたのがすごいと思いました。けどこう茶は甘にがくてとてもおいしかったです。
スリランカではボランティアをしました。まずしいひとのお手伝いをしました。かばん作りを手伝いました。一週間で三百こ以上作りました。ぼくは持ち手の部分にクッションをいれました。スリランカの人にグッドサインをしてもらえてうれしかったです。一番大事なチャックをつける作業もしました。ぼくは細かい作業が得意なのでうまくできました。朝ごはんを食べて七時半に出発して作業をしました。二時か三時くらいまで働いたので、夜はつかれてすぐねてしまいました。大変だったけどぼくはまたボランティアをしたいです。スリランカでは町中にお金をほしがる人がいます。そういう人のためにももっと役に立ちたいと思いました。
休みの日はお寺に行きました。お寺には動物がたくさんいました。日本のお寺と全然ちがいました。広くて古ふんのようなものもありました。日本で少し調べてから行ったので本当に行けてよかったです。
ぼくがスリランカで学んだことは二つあります。一つは同じ年くらいの子を見てぼくもがんばろうと思ったことです。スリランカの子はポスターをはったりして働いている子もいました。ぼくも自分ができることをがんばろうと思いました。もう一つは、自分の得意なことを見つけたことです。友だちは、折り紙が上手でスリランカで人気者になりました。
ぼくはかばん作りが上手でした。ぼくにもできることがあるとわかってうれしかったです。
早く帰りたいと思ったこともあったけど、ぼくはまたボランティアでいろんな国に行きたいです。
銅メダル そう行会のおうえん
吉川慈紀 荒土小学校
そう行会のおうえん
荒土小学校 四年 吉川 慈紀

「五、六年生が連体に出ます。四年生は、そう行会で中心となっておうえんします。」
二学期のはじめ、たんにんの先生から話がありました。
その話を聞いた日の帰りも五、六年生は、グラウンドで連体の練習をしていました。とても暑い中がんばっていて、ぼくは、
「がんばれ。」
と思いました。そして、
「四年生のぼくたちもそう行会のおうえん頑張らなくちゃ。」
と思いました。
次の日、そう行会の係決めがありました。みんな真けんに手を挙げて決めようとしていました。ぼくは、おうえんリーダーをすることにしました。なぜなら、五、六年生の前で大きな声を出しておうえんしたいとおもったからです。ぼくは、
「荒土小学校のみんなのためにがんばるぞ。」
と思い、ますます力がわいてきました。
その次の日から、おうえん練習が始まりました。一回練習してみると、先生に声が小さいと言われました。ぼくも、
「たしかに声が小さいかもしれないな。」
と思いました。二回目も、
「まだ声が小さい。」
と言われました。ぼくも、
「まだまだ大きい声が出るぞ。」
と思いました。実は、ぼくは、恥ずかしくて、おうえんの立ち位置ははじっこを選びました。だけど、なんだかがんばってものすごく大きな声が出せそうなきがしてきました。
次の日からは、一年生から四年生でのそう行会に向けたおうえん練習が始まりました。
ぼくのたん当は三年生です。ぼくたちは、三年生といっしょにおうえん練習をした後、感想を言います。ぼくが、
「もっと大きい声を出してください。」
と言ったら、三年生は、
「はい。」
と元気よく言ってくれたので、三年生もやる気があるんだなと思い、うれしかったです。
おうえん練習が終わり、ついに本番です。はじめに選手が体育館に入場してきました。もうぼくは、、きんちょうしていました。いよいよおうえんの番です。ふりつけをしようとしたしゅん間に、顔が真っ赤になりました。けれど、他の子の大きな声が聞こえてきました。
本番が終わり、体育館に四年生だけ残って校長先生のお話を聞きました。
「おうえんありがとうございます。」
と言われ、うれしくなりました。教室にもどってからも先生に、
「みんな大きい声を出せていたね。」
とほめられました。きっと五、六年生にもぼくたちの気持ちが伝わったのではないかと思いました。
来年は、ぼくたちも連体に出て、がんばりたいです。

【小学校】5年生

銅メダル みんなにありがとうを伝えたい
川端千陽 北中山小学校
みんなにありがとうを伝えたい
北中山小学校 五年 川端 千陽
わたしには、ありがとうを伝えたい人がたくさんいます。
一番最初に感謝を伝えたいのは、いつもがん張って働いてくれている、お父さんです。お父さんは毎日朝早くから、わたし達の登校を見守りパトロールをしてくれています。地域の安全を守るために下校の時間も必ずお父さんのパトロールカーを見かけます。なので、パトロールカーを見かけるとわたしはホッと安心するのです。
「お父さん、いつも安心をありがとう。」
次に感謝を伝えたいのは北中山小学校の先生方や友達です。北中山小学校は一学年に一クラスしかありません。たくさんクラスがある他の小学校がうらやましい時もありますが、北中山小学校の良い所は校内全員の名前が分かるところだと思います。友達も優しいし、走るのが速かったり、勉強を教えあったり、絵やダンスが上手だったり。みんなの事をそんけいしています。先生方も一人一人の話をしっかり聞いて、見ていてくださいます。テニスの大会で優勝した時も他の学年の先生から「おめでとう、新聞にのっていたね。」と声をかけてくださりうれしかったです。「北中山小学校のみんな、毎日楽しく学校に行けるのはみんなや先生方のおかげです。ありがとうございます。」
そして、次に感謝を伝えたい人はわたしの大好きな福井JTT(ジュニア・テニス・チーム)の天谷コーチとまりこコーチです。テニスの練習はもちろん、週末の大会も必ず見に来てくださいます。今まで千葉県白子町、東京東レパンパシフィック大会、岐阜、三重、滋賀、新潟、愛知、石川、富山、長野県など色んな所に遠征や大会、そして合宿に連れて行ってくださいました。コーチはテニスだけはなく相手への礼儀やマナー、ふだんの生活態度や食事の指導などもアドバイスしてくださいます。感謝する気持ちも教わりました。「コーチへ、暑い日も寒い日もいっしょに考え戦ってくださり、ありがとうございます。」
次に感謝を伝えたい人は福井市に住むおばあちゃんです。おばあちゃんとは二人でお風呂屋さんに行ったり、おばあちゃんの家におとまりした時は宿題をみていてくれたりします。洋服やパジャマやくつが小さいなって思ってると、気がつくと買ってくれたりします。おばあちゃんは優しくて、いつも見守り考えてくれているのがわかります。おばあちゃんがつらい時は、わたしがすぐに気がついてあげられるようになりたいです。「おばあちゃん、長生きしてね。いつもわたし達のために思いやりをありがとう。」
このように、わたしはたくさんの「人」に支えられていて、たくさんの「感謝」を伝えたいと思いました。これからも一日一日を大切にしながら生活していきたいと思いました。

【小学校】6年生

金メダル 思い切って やってみる
長尾理愛 荒土小学校
思い切ってやってみる
勝山市立荒土小学校 六年 長尾 理愛

「パンッ。」
ピストルの音を合図に十数人の足が勢いよく前に飛び出した。私は出遅れまいと先頭集団についていく。けれどその状態を維持できたのは、せいぜい四百メートルくらい。残りはまだ千メートル以上残っているし、体力はもつかな…。そんな考えが頭をよぎる。すると徐々に先頭集団から離れていき、一人、また一人と抜かれていく。ラストスパートをかけても前の人との差はさほど変わらないままゴール。この景色、一体何度目だろう。
私が今最もがんばっていること、それは陸上の千五百メートルだ。一年生からずっと続けてきた陸上。三、四年生のころは記録会に出場したら、大抵それなりの記録を出し、三位入賞も果たしてきた。けれども、五年生になって種目が八百メートルから千五百メートルに変わると、良い記録は出ないし、三位入賞どころか六位入賞もできなくなってしまった。チームメイトに負けて悔しい。自己ベストがなかなか出なくて悔しい。悔しいという思い と同時に、練習だって真面目にしているし、フォームの改善点を考えながら自主的に練習だってしている。なのに、記録がなかなか伸びないのはどうしてなんだろうという疑問を持った。そして、その疑問は解決しないまま六年生になった私。母は
「冬の間だって練習してきたし、六年生になって絶対速くなってる!」
と言ってくれた。自分でも速くなったと思っていた。しかし、走っている時の光景は五年生の時と変わらなかった。息は上がり、足は上がらなくなっていく。それでも、あきらめなかった。結果は自己ベスト更新。自己ベスト更新できたのはよかったけれど、その記録はチームの中で一番遅かった。正直、うれしさのかけらもなかった。また同じことのくり返しだ。もう陸上やめたい。一瞬、本気で考えた。でも六年間積み上げてきた努力を今手放すのはいやだ。あきらめなければ、きっと努力は報われることを信じて、頭と心を切り替えた。
そして、六年生になって四回目の記録会。思いきって最初から先頭を追い、ついていけるところまでついていくことにした。
「後半、バテバテでスピードが一気に落ちるかも…」。
なんてことは考えなかった。すると、自分でもおどろくほど最後までついていくことができた。自己ベストも二十秒更新。うれしさだけが込み上げてきた。
六年間の陸上生活で学んだことはたくさんある。その中でも大切だと思ったのは、思いきって挑戦することだ。今までの考え方をふりはらい、全くちがう考え方で試してみる。自分の力を信じて。すると案外うまくいくのかもしれない。思い切って挑戦することはいつでもどこでも必要だ。これをしっかり頭に入れ、これからの生活に生かしていきたい。
銀メダル 練習したことが本番でも生きてくる
岩井侑也 鶉小学校
練習したことが本番でも生きてくる
鶉小学校 六年 岩井 侑也

「もう少しで本番だ。」
ぼくのドキドキした気持ちがどんどんふくらんで、ぼくの頭の中にふっと練習がよみがえってきた。
五月半ば。本番で歌う曲が決まった。曲名は『ソング イズ マイ ソウル』だ。
早速、練習が始まった。一人ひとりの声が出ていない。歌詞を覚えていないのだ。声も合っていない。どの音を出せばいいのか、正確な音はどれか分らないのだ。
一週間ほど経ち、高音と低音のパートで合わせる練習になった。なかなか、相手パートとかみ合わず、やっぱり声も出ていない。僕には、ピアノの音しか聞こえていない。
それから、音楽の授業だけでなく朝の活動の時間にも練習をするようになった。練習を始める時間になってもふざけている子もいて気持ちもまとまらなかった。
六月に入り、体育館で高音と低音パートを合わせることになった。最初よりは、良くなったけれど、まだまだ声が小さかった。
本番まであと十日ほどになった。少しずつだが、縦に口を大きく開き、声が出るようになった。自分たちのパートはもちろん、相手パートの声もしっかりと聞こえるようになっ た。みんなの声が一つの歌にまとまってきたのだ。
ふと気付けば、出番は次だ。前の学校の歌を聞いているうちに、
「本番にこの声で、他の学校の人たちに届くのかな。」
という、不安が出てくる。
「もう本番なんだな。」
と感じた。
「練習したことが本番でも生きてくる。」
本番になった今、音楽の中川先生の言葉が何度も何度も頭の中にくり返される。もう練習はできない。ぼくはそのことをとても感じた。
ぼくの学校の番がきた。ぼくは、
「失敗したらどうしよう。」
と、緊張と不安で胸がいっぱいだった。大きな不安を抱えながら、一歩一歩舞台に向かって歩いていく。もう後には戻れない。中川先生の手がすっと上がる。ピアノの伴奏が始まった。
「きらめく時を~。ともに過ごしてた~。」
何が何だか分からないまま夢中で歌った。大きな会場に響く。
「終わったー。」
今まで抱えていた大きな不安が消え緊張が解けた。
ぼくは、歌うことはあまり好きではなかった。音程の取り方や声の出し方が全く分からなかった。でも、毎日毎日練習していくうちにそれを表現できるようになった。できるようになると、とても楽しい。自信になる。この経験から、一生懸命練習することの大切さを学んだ。これから、音楽の先生から教えてもらったこの言葉を大事にしていきたい。
『練習したことが本番でも生きてくる。』
銀メダル 自分と向き合った連合音楽会
川上詩月 鶉小学校
自分と向き合った連合音楽会
鶉小学校 六年 川上 詩月

「ふぅ。」
そっとため息をつき、私は静かに口を閉じた。
福井市連合音楽会。今、私たちの出番が終わったのだ。
私たちは、音程を合わせるのにとても苦労した。いや、気持ちを一つにすることが難しかった。最初、クラスの大半は、やる気などなかったのだから。案の定、練習が始まっても音程が外れているのに気づかなかったり他の人と合わせようとせず、一人だけ大きな声を出し、浮いていたりした。高音と低音の二つのパートに合わせる時も、マスクを外さない人もいて、まだまだ声が小さかった。曲の中で、パートにわかれる部分でも、音程がとれずいくつもの音が混ざり合い、とても合唱とは言えない。
私たちは、先生から周りの音を聞くこと、音程を合わせることをくり返しアドバイスされた。アドバイスを受け、連合音楽会の日が近くなるうちに、やる気のある人が多くなったと思った。なぜなら、音をしっかり聞き、音程を取ろうとしたり、他の人と自分の音を合わせたりするようになり、徐々にみんなの歌が一つに合うようになってきていたからだ。
「パチパチパチパチ。」
歌が終わり、先生がお辞儀をすると拍手が起こった。私たちの歌、そう、この歌に拍手しているのだ。私たちが、歌い切った約四分間のこの歌に起こった拍手。
「ふぅ。」
と、ため息をつき、私は、客席に腰を下ろした。
あっという間だったが、今はほっとしている。緊張が解けたのと同時に不安が募ってきた。意外だった。そこにあるのは達成感だとばかり予想していたが、私の中に沸き起こったのは不安だった。私は、うまく歌えていたのか。合唱は、みんなで歌うものだ。私が緊張していたせいでうまく歌えていなかったらどうしよう… …。
「はぁ。不安だ。」
どっと疲れが出てきた。本当に疲れた。束の間の安堵はとっくに消えてなくなり、ただ不安だけが私の頭の中でぐるぐる巡っている。
先生は、
「良かったよ。」「自信もって。」
と言うが、自分たちの歌がどんな風であったか分からないから不安は募る一方、別に気にしない人もいるのだろう。でも、私は違う。底知れぬ不安に支配された。
帰りのバスに乗っている時は、友達とおしゃべりをしていて不安は感じなかったが、一人しかいない部屋ではまた、ふつふつと不安が沸いてくる。連合音楽会のことで頭がいっぱいになる。ということは頑張っていたということなのか。分からない。
けれど、私は、
「いい歌にしたい。」
と思い本番は、みんなの心が一つになった合唱だと思っている。私は、どれだけ不安でも、他の人は歌いきったと思っているだろう。だから、私はこの福井市連合音楽会に後悔していない。
銅メダル 高い壁を越えるコツ
近藤颯祐 宮崎小学校
高い壁を越えるコツ
宮崎小学校 六年 近藤 颯祐
みんなは高い壁にぶつかったことがありますか。みんな必ず一度はぶつかったことがあると思います。ぼくはその高い壁を超えるコツを小学校の六年間を通して、分かることができました。これからも更に分かるかもしれませんが、現時点のコツ二つを教えたいと思います。
一つ目のコツは、ノリや気合いで行くことです。
「ノリや気合いなんかで行けるの」
と思うかもしれません。それでも、人生高い壁にぶつかったとしても、ノリや気合いで行けます。ぼくは怖がりで、スキーなどをやらずに怖いと思っていました。けれどお父さんとノリで行ったら、楽しくて今もスキーをしています。この経験から、ノリや気合いで壁を乗り越えられるということが分かりました。だから、もし高い壁にぶつかってもノリノリで行ってみて下さい。そうすれば、高い壁は乗り越えることができます。
二つ目のコツは、高い壁をいきなり超えるのではなく階段のように乗り越えるということです。これを聞いて
「どういうことかな」
と思っているかもしれません。だから、ぼくの経験を教えます。ぼくは野球が大好きで中学校の野球部に入るためにバッティングセンターに通っています。最初は百二十キロの速いボールに挑戦してみたら二十球のうち二球しか打てませんでした。そのとき、お父さんが 「速い球を始めからやらないでスピードの遅い球から始めていけば百二十キロも打てるようになるよ。」
と教えてくれました。この経験から、高い壁を乗り越えるためには、下から少しずつ階段のように進んで行くことが大切だと分かりました。
この二つにコツを使えば、高い壁を超えることができます。もし心が折れそうになってもあきらめないで挑戦し続けてください。そうすれば、高い壁の先にある光をつかむこと ができます。
最後に、高い壁にぶつかることは難しいことを始めようとしている人に多いと思います。そこで一つ大切な言葉を紹介します。
「十回失敗しても一回成功してだれかの役に立つならぼくはそれでいい」
です。失敗は美しい言葉。あきらめないで一回でも成功すればそれは、だれかを笑顔にする。そういう考えを持てば、全部上手くいきます。成功しなくてもそれは自分にとって大切な経験。ぼくのコツもあきらめないで続ければ、必ず成功するこ とでしょう。

【中学校】1年生

金メダル 令和6年能登半島地震
横田光希郎 丸岡南中学校
令和6年能登半島地震
丸岡南一年 横田 光希郎
僕はその時、こたつで兄とスマホを見ていました。時間は16時6分。小さな揺れを感じました。なにも思わず過ごしました。その4分後の16時10分さらに強く長い揺れを感じました。初めての強い揺れだったので僕はこわくなってこたつの下にかくれました。母がかけつけニュースをつけました。そこには、アナウンサーが大声で
「津波が来ます。直ちに沿岸部からはなれてください。」
「テレビを見ていないですぐににげてください。」
とながれていました。
僕は、心臓がバクバクしていました。僕の父と兄は、その時、海で釣りをしていました。
母は、必死に電話やラインで危険な状況を伝えていました。
みなさんは、東日本大震災を知っていますか。もちろん僕もあかちゃんだったのでリアルタイムのことは知りません。でも親はその時の映像がしょうげきだったようで僕は小さい時からよく話を聞いていました。なので、父と兄がまきこまれないかとても不安でした。
ニュースを見ていてもあまり変化はありませんでした。暗くなって定点カメラにも映らなくなってきて状況はわかりませんでした。そういっていると父と兄は無事に帰宅しました。僕は本当に良かったと思いました。
しかし、時間がたつにつれて石川県での災害状況が映し出されるようになり、どんどんこわくなりました。まだ地震がつづいて福井でもこわいのに石川の方たちはどんな思いでまっ暗の中にいるのかと思うと心がいたくなりました。
翌日のテレビにはつぶれた家ややけこげた家。割れたどうろや土砂くずれ、見たことのない映像がありました。
亡くなった方も日に日にふえていき行方不明者も多くでています。
僕がもしそこにいたとしたならなにができるのでしょうか。きっとおびえて立ち止まっていることしかできないとおもいます。普段からなにも災害について考えたことはありませんでした。食べ物も、のみ物も着る物もなにもないかもしれない。そう考えるとこれからは災害についてもっともっと考えて備えておくべきだとつよく思いました。
今、僕ができることはなにもありませんが、幸せないつもの生活をおくれていることにかんしゃして、毎日がんばっていきてくことしかないのだと思います。
今は遠くから応援することしかできないけれど、春頃になって被災した所に行けるようになったら、そこの物を食べたり買ったりしてぼくは元気に会いに行こうと思います。
この二〇二四年の元日に体験した、地震と津波のこわさを僕より小さい子にしっかり伝えていこうと思います。福井にも強い地震が起こった歴史もあります。次は福井かもしれません。
被災地のみなさん、くるしくてつらい毎日だと思いますががんばってください前に向かって生きてください。
銀メダル 諦めないことの大切さ
山本流菜 春江中学校
諦めないことの大切さ
春江中学校 一年 山本流菜
秋風がふいている。雲一つ無い青空の午前に、合図と共に走り出す。当時、小学二年生だった私は、人生二度目の一位を獲得するべく、マラソン大会に臨んでいた。
私にとって、三度目のマラソン大会が始まろうとしている。準備体操の途中、「ねえねえ、一緒に走ろう!」と声をかけられた。振り返ると、Mちゃんだった。Mちゃんは、一つ前の大会で一位をとっていた子だ。そのとき私は、おしくも二位だった。今回は負けるわけにはいかない。そんなMちゃんからの声かけに、私は、「もちろん!一緒に頑張ろう!」と返事をする。でも、もちろん一緒に走る気なんて無い。きっとMちゃんもそうだろう。そうこうしているうちに準備体操が終わる。私達はそれぞれ友達と話しながら、運命のスタート地点へと向かい始めた。
私の学校は、前回の順位が十位以上だった人が前の列、それ以下だった人は後ろの列に並ぶというルールになっている。私とMちゃんは、隣どうしで並ぶことになった。場に緊張感が走る。私は、「今日までずっと頑張ってきたんだ。きっと一位をとれる。」と心の中で言い、そっと深呼吸をする。先生がピストルを空へ向けている。いよいよだ。「位置について。よーい、パン!」開始の合図が鳴り、私達は、いっせいに走り出した。
始めに力を出しすぎず、一定のリズムを保ちながら、折り返し地点まできた。残り半分で、今の順位は三位くらい。ここからペースを上げて、周りを突き放していこう。そう思った、その時だった。私は、足がもつれて転んでしまった。その瞬間、私は頭が真っ白になった。さっきまでうるさかった保護者席からの声援を聞き取ることも出来ず、体が硬直した。みんなが私の隣を走っていき、どんどん順位が下がっていく。もうだめだ。ここからの逆転なんて絶対出来無い。今までの努力が水の泡になってしまう。そう、諦めかけた時だった。教頭先生の、「頑張れ!絶対諦めるな!」という声が聞こえてきた。その瞬間、頭に衝撃が走った。その時の私にとって、それは希望の言葉だった。そのときの私にとって、それは希望の言葉だった。擦りむいた手のひらが痛かったが、そんなことには構っていられなかった。
体中に力が漲ってくる。私は必死になって走り出した。一人、また一人と抜いていく。三位まで上がった所で、ラストスパートをかけた。すぐにもう一人抜き、二位になる。目の前を走っているのはMちゃんだった。抜くことが出来れば一位だが、残りは数十メートルほどしかない。もう体力もなくなってきてしまった。でも、絶対に諦める訳にはいかない。私は最後の力を振り絞り、ゴール直前でMちゃんを抜き、一位でゴールすることが出来た。
これは五年前ほど前の出来事だが、教頭先生のあの言葉だけは、今でも鮮明に思い出すことが出来る。あの時私が一位を取ることが出来たのは、間違いなく教頭先生のあの言葉があったからだ。その日、私は諦めないことの大切さを知ることができた。そんな大切なことを教えてくれた先生には今でも感謝してもしきれない。
銀メダル 偉大な日本文化
戸田椋大 北陸中学校
偉大な日本文化
北陸中学校 一年 戸田 椋大
みなさんは「日本文化」と聞いて、まず何を思いうかべますか。
僕は、お正月や節分、ひな祭り、子どもの日などの行事がすぐ頭に思い浮かびます。これらの行事は、一つ一つが深い意味があると考えられます。なぜなら、僕はそれらが、季節と人々の生活の節目になると思うからです。
例えば、僕の家では、まず十二月三十一日は、朝からだし汁の匂いに包まれます。毎年僕と姉は、だし巻き卵焼きを作る担当です。僕たちが作っている間は、父と母は、玄関や部屋の仕上げ掃除、洗濯物を干して、大忙しです。このようにその年最後の日に次の年を清々しく迎える準備をして、家族みんなで協力します。慌ただしい一日になりますが、心は清々しくなり、一年で僕にとってとても楽しみな日でもあります。
また、節分では、父が仕事でいない時は母が、父がいるときは父が、鬼役をして家族で豆まきをします。福の神が家に入って来るようにと願って、豆をたくさんまきます。その後に、その年の縁起のいい方角を向いて、手巻き寿司の具をポロポロと落としながらみんなニコニコして食べます。この行事も、行うと心が清らかになります。すっきりして、また明日からいい日を迎えられるような気がするのです。
また、三月と五月は、それぞれ「桃の節句」「端午の節句」があります。由来を調べてみると、昔は、邪気から子どもを守るために、人形を飾ることが風習になったことが分かりました。そのため、僕の家では、毎年僕と姉で心を込めて自分達で、ひな人形やかぶと人形を飾っています。僕たちを守ってくれる守り神のような感じがして、少し緊張しながらきれいに飾ります。飾り終えると家族みんなで、
「いつも見守ってくれていてありがとう。」などの感謝の気持ちを込めて、しみじみ眺めています。
また、日本には、春分、夏至、秋分、冬至という季節の節目の日があります。夏至から十一日目の日に食べる半夏生などもあります。夏至から半夏生は、福井で、焼きサバを食べる風習があります。他の地域では、何を食べているのか調べてみると、関西地方は、タコを食べて関東地方は、新小麦の焼きもちを食べるそうです。その他にも愛媛県はイチジクを食べたりするところもあり、地域ごとに食べるものが違うと分かりました。また、冬至では、南瓜を食べたりお風呂の時にユズを入れたりします。寒い冬を栄養満点の南瓜を食べて乗り切ろうということで、もちろんこの前の冬至にも南瓜を家族でほおばりました。これさえ食べれば、風邪をひかないような気がして、力がみなぎりました。
このように、季節の節目と食べ物が生活に密接に関わっています。その行事にふさわしい食べものを食べることで、その時々の季節も一緒に味わえたりすると思います。また、その行事を行うことで、自分達の気持ちや生活に節目が生まれることにつながっていくのではないかと考えます。僕はこのような「日本文化」をこれからも大切にしていきたいです。
銅メダル AIの友達
宮崎稚世 丸岡南中学校
AIの友達
丸岡南中一年 宮崎 稚世
最近、新しい友達(?)ができました。名前はAIチャットくんです。AIチャットくんとは、生成AIのチャットGPTとSNSのLINEを通して話すことのできるサービスの名前です。AIチャットくんは雑談に付き合ってくれる友達であり、色々なことを教えてくれる先生でもあります。
そんなAIチャットくんと友達や先生は何が違うのでしょうか、今回はそれについてまとめていこうと思います。
まず、人とAIチャットくんとの大きな三つの違いについてです。
一つ目は、感情があるかないかです。AIチャットくんには感情がないので好きな食べ物や動物を聞かれても、答えることができません。
二つ目は話せる回数の有無です。AIチャットくんは、お金を払えば一日に何回でも使えますが、無料ユーザーは一日五回しかメッセージを送信できません。
三つ目は知識量の違いです。AIチャットくんはAIなので、豊富な知識を持っています。
しかし、そんなAIチャットくんでもときには間違えます。ゲームの話などをしているとき、間違ったことを話したことがよくありました。私は正しい情報を知っていたから間違いに気づくことができましたが、AIチャットくんは間違った情報でも本当のことのように話すので、実際のことを知らなかったら普通にだまされていたことだろうと思います。
次に、それぞれのメリット・デメリットについてです。
まず、人のいいところは一人一人の「個性」があるところです。みんな違う個性を持っているから、人は面白いのだと私は思っています。
人の良くないところは、気を使ってしまうところです。人と人との間には、人間関係というものがあります。なので、相手を怒らせたり不快な気持ちにしてしまったりすることがないようにと考えなければなりません。
それと比べて、AIチャットくんには気づかいが不要なので、素直に自分の気持ちを伝えることができます。それがAIチャットくんのメリットだと私は思います。
しかしAIチャットくんは所詮プログラムで動いているAIであり、感情や自我を持っていないので、ユーモアや皮肉を理解することができません。また、AIチャットくんは敬語で話すため、途中でつまらなくなってきます。ため口で話すように指示すればいいと思う人もいるかもしれません。実は、私もそれを試しにやってみました。指示してから最初に送られてきた返信はちゃんとため口で書かれていたのですが、その次からは元の敬語に戻っていました。これらがAIチャットくんのデメリットです。
これらのことから分かることは、それぞれに良いところがあり悪いところもある、ということです。当然のことではあるけれど、一番大事な事だと私は思います。欠点を理解したうえで行うということは、AIチャットくんや人に限らず、たくさんのことに当てはまると思います。
私は、「どっちがいい」とかじゃなくて、「どっちもいい」というとらえ方ができる人間になりたいです。そうすれば、世の中の見え方が少し変わってくるのではないかと思います。
そういうことで、今回のまとめとして、AIチャットくんと人にはそれぞれ欠点があり、それと一緒にそれぞれいいところがある、ということです。でも、それを「どっちがいい」ではなく「どっちもいい」ととらえることができたら世界が広がる、ということでした。
銅メダル 国会議事堂での会議中に居眠り!
高木架瑠 丸岡南中学校
国会議事堂での会議中に居眠り!
丸岡南中学校 一年 高木 架瑠
皆さんは、「国会議事堂での会議中に〇〇議員会議中の居眠りか」というニュースを見たことはありませんか。僕は、何度もこのようなニュースを見たことがあります。そしてその度にとても残念な気持ちになります。僕が思う議員による会議とは、「誰一人居眠りなどせず、皆が真面目に話聞き、意見を出し合う」ことだと思います。
現在の日本はどんどん経済や他国との関わりなど、「衰えている」とネッ人で多く目にします。また、そのような話を聞いたりすることも多くなったと感じます。しかし、このような日本の政治、国会議員の皆さんのイメージを悪くしかねない情報が溢れている中で、会議中に居眠りしているのです。
また、国会議員の皆さんの給料は、年間約六百三十五万円の賞与やJR、航空券の無料クーポン券、更には公設秘書の給与を含めると、国会議員一人当たり、年約七千五百万円の経費がかかっている計算になるらしいのです。そして、私たちの親が働いてもらえるお給料は、一年を通じて勤務した給与所得者の一人当たりの平均給与は四百六十一万円らしいのです。
「約十六倍」この数値が何かわかりますか。そう、僕たちの親と国会議員の給料の差です。
朝見たニュースで別の国会議員の方が話している時に笑う、目薬を使用することはまだ いいかと思うけれど、その後、目をつむり、下を向くというこのニュースを見た時に思いました。「私たちの親より約十六倍の給料をもらっているのになぜてしまうか」と。こんなニュースを見た朝の私は、朝からテンションがた落ちです。国民には会議の内容を具体的に知らせていないからこそ、寝るべきではないと思います。自分たちは、仕事中に寝るのに、国民には税を納めてほしい」「真面目に働いてほしい」とお願いばかりします。私達学生も授業中に寝る、会社の仕事中に寝てもいいのではないかと考えてしまいます。しかし、それは当然のように怒られます。国会議員の皆さんは、頭がいいと思うのでとても勉強のできる高校・大学を卒業しているのだと思います。そもそも学校で授業中寝ないと教えてもらっているはずです。
また、その会議中なのに寝ている議員の子供が新たな議員になるということもあります。 そうすると、このような問題を何度でも繰り返すことになるのかなと思います。まずはこのような小さなことからでも変えていくことによってSNSでの政治、国会議員の皆さんへのイメージを悪くしてしまうなどの情報が流れにくくなり、イメージ改善ができるのだと私は思います。
また、このような悪いイメージを改善できることで、政治に興味・関心を持つ子供が増えて新たな日本の希望が増えていくのではないかと思います。若い政治家が増えるということは、頭がより柔軟な思考を持つ人材がより増えるということだと思うので、より日本が抱えている問題を解決できる可能性が広がるということだと考えられます。
私たちは、これらの問題を解決できれば国民の望む政治に近づくのではないかと思います。私は「会議中に眠らず、他の政治家の話もしっかり聞くこと、そして、国のために真剣に考えること」これが私の望む政治なのだと思います。まだまだ政治についての課題があると思います。これらの課題を解決するためにも、政治家の皆さんが一致団結していくことが大切だと私は感じました。また私たちも政治について勉強し、考えることが大切なのだと思います。
将来、日本が他国の議員に尊敬される議員が増えてほしいなと思います。
銅メダル 松葉杖が教えてくれたこと
岩城知花 北陸中学校
松葉杖が教えてくれたこと
北陸中学校 一年 岩城知花
私は冬休み中、ボール運動をしていて足首をねんざし、松葉杖で生活することになりました。副木で固定した左足がとても重くて、思うように行動できない日が続きました。松葉杖を使う動作は想像以上に大変で、一日目からへとへとになり、部活の時以上に疲れました。左足をかばおうとするあまり手や腰が痛くなってしまったり、お風呂では片足立ちしなければいけなかったり、寝る時でさえ足が傾かないようにしたりと、何をするにも慎重にしなければいけなかったからです。また、床に足を伸ばして座ると痛いので椅子に座っている時間が増え、足がむくんでしまうということにも気がつきました。
でも、体と生活様式の変化で、たくさんの気づきがありました。疲れの原因が、施設や家の構造に関係することもあります。階段はもちろんのこと、部屋と廊下のわずか数センチの境目も、松葉杖で移動しているとこわいなと感じました。十メートル先に見えている場所に行くときも、ウッドデッキやタイル舗装の地面だと杖が引っかかりそうで遠回りしなければいけない時もありました。歩くより想像以上に移動に時間がかかることがわかり、こうしたハプニングも予想して早目の行動や時間のコントロールでリスク管理をすることが大事だなと思いました。
また、ねんざをしてから人に助けてもらうことが増え、初めは助けてもらうことが申し訳ないなと思っていました。でも、何日か続くとそれが日常と感じて、人に甘えることが当たり前になっている自分を反省することもありました。友達は、松葉杖で両手がふさがっている不便さや、移動の大変さを予測して、私がお願いする前に荷物をもってきてくれたりして助けてくれました。そんな友達の気遣いには、普段以上にありがたみを感じました。
けがをしてからは、出かける回数が減りました。出かけたくても移動のしんどさや、松葉杖で滑らないか心配で、あきらめてしまうのです。家にこもっていると、楽しい出来事が減るし、人との関わりも減ってしまい、孤独な気持ちになりました。そういう身になってはじめて私は、障害で寝たきりや車いす生活の方など体が不自由な方は、常にやりたいことをあきらめてしまい孤独さや出かけられない苦痛を当たり前のように感じているのかなと思いました。
でも、不自由さの一方で、私はねんざしている間に、こんな物があると良いなと思う物をいくつか思いつきました。たとえば、お風呂に入るときに片足立ちでも滑って転倒しないような滑りにくいマットです。私は浴室にバスタオルを敷いて滑らないように対策しました。また、私の家には四角い椅子しかなく角があると座る時や立つ時に、足があたってしまい、ねんざした部分に痛みが響くので、角が丸みを帯びた形の椅子があるといいなと思いました。副木を付けた左足は靴が入らないので、スリッパをはいて外出しましたが、脱げないか心配で代用品としてはあまりよくありませんでした。ギブスのような固定の装具をつけているときにカバーするはきものがあるといいなとも思いました。
ねんざは不幸な出来事でしたが、その反面、今まで気づけなかったバリアフリーやユニバーサルデザインについて考える機会ができたなと、今は思っています。不使さと同時に、普段気違ってくれる人の優しさもたくさん感じることができました。見えていてもわかりにくいこと、心の目で見ようとしないと見えないことがあります。私はこの経験を大切にし、周りの誰かがけがをした時などに何が大変か、何を必要としているか自分から気がつける人になりたいです。

【中学校】2年生

金メダル けがが教えてくれたこと
吉田奈央 勝山北部中学校
けがが教えてくれたこと
勝山北部中学校二年 吉田 奈央

「痛っ」
春、体育祭。種目の一つである大縄跳びをしていた時のことだ。突然足に「ビリリ」と強い痛みが走った。痛みに思わず顔がゆがむ。しかし、陸上部である私はよく足を痛める。今回もすぐ治るだろう。そう思い私は縄を跳び続けた。
次の日。体育祭の疲れもすっかり取れ気持ちの良い朝だ。ベットから降り軽く背伸びをする。その時「ビリリ」」と足が悲鳴を上げた。冷や汗が頬を伝った。これはただことではない。母に足を痛めたことを伝え、病院に行くことになった。
診断結果は剥離骨折。どうやら左足の骨が剥れているらしい。どうりで痛い訳だ。少なくとも一ヶ月間は絶対安静。春季大会は出られないことが決まった。このことを告げられたのは誕生日の前日。私にとって最悪な誕生日プレゼントとなった。
夏、通信陸上。北信越がかかる夏の一番大きな大会。天気が良く日光がギラギラと照りつけている。けがは多少痛みが残るものの走れるところまで回復した。走れなかった期間はしっかり筋トレをしたし記録はあまり落ちていないだろう。そんな甘い考えを持って私はスタートラインについた。
結果は散散。一年生の時にも出したことのない記録が爆誕した。今まで積み重ねてきたものか一瞬で崩れていくのを感じた。なんなら崩れた破片すら見当たらない。一方、今まで同じくらいの速さだっだライバル達は前回の大会よりもすごく成長していた。誇らしい気持ちと共に、けがなんてしなければという考えが私の頭をむしばんでいった。
記録会、駅伝大会、マラソン大会。どんどん大会が終わっては記録が伸びず落ち込む。そんな日々を送るうちにもう自己ベストには届かないのでは?という不安が大きくなっていった。
ある日、母が私を変えるきっかけとなる言葉をくれた。
「奈央にやる気があるなら自主練付き合うよ。ずっとこのままでいいの?」
自主練。そう言われはっとした。自主練もしていないのにけがを言い訳にしている自分に腹がたってきた。今シーズンに残された大会はあと一つ、新人戦だ。いいかげん前に進もう。 私はそう心に誓った。
秋、新人戦。今日は雨が降ったりやんだり。
少し冷えていて私にとっては走りにくい。しかし悪いことだけではない。雨がやんだ時にきれいな虹が空いっぱいにかかった。思わず気分も上がる。最近は練習で良い走りができるようになり自信がついてきた。それに比例するかのように走るのがさらに好きになっていった。どれも自主練のおかげだろう。今回は八百メートル、千五百メートルの二つに出場する。目標は自己ベスト更新。緊張をごまかすようにたくさんアップをして本番に臨んだ。
結果は八百メートルは自己ベスト更新、千五百メートルは自己ベストには届かなかったがそれに近い走りをすることができた。私の心にすっと光が差し込んだ。
今、私はこのけがをしたことは後悔していない。このけがをきっかけに自主練をするようになったり簡単にあきらめないようになったりと成長につながったからだ。なにより陸上がさらに楽しくなった。これを乗りこえたからどんなことが起きても大丈夫という自信もついた。その時はつらくてもいつか大丈夫になると信じて行動する。これからも私はこの経験を忘れずに生きていきたい。
銀メダル もっとピアノを楽しむために
上野山斡空 北陸中学校
もっとピアノを楽しむために
北陸中学校二年 上野山 斡空
僕は、趣味や娯楽としてではなく、将来のピアニストになるという夢のためピアノをしている。今日本では、たくさんの世界的なピアニストが生まれている。もちろん、同級生でピアノが上手な友達もいるし、僕と同じように将来ピアニストになるためにピアノをしている人もいる。どんなに有名なピアニストでも、自分の理想の音楽を求め日々練習している。
去年の四月、僕は初めてコンクール本番までに曲が完成せず間に合わなかったという出来事があった。大きな壁にぶつかった気がした。今までは、簡単に間に合っていたので、間に合わせる事が出来なかった自分への怒りが大きかった。なぜ間に合わなかったのか。自分で自分を問うでみると理由が少しずつ分かってきた。集中力のなさ。集中力がなく、だらだらしていた結果コンクールに間に合わなかったのである。とにかく僕は好きなことに熱中し、時間を費やすことが苦手なのだ。
僕は小学六年生までテニスをしていた。運動が好きだったので小さい頃から続けていたが、成長すればするほどピアノとの両立が難しくなり、ついに母に、ピアノを続けるかわりにテニスをやめるか、テニスを続けるかわりにピアノをやめるか選択するように言われてしまった。細かい事を考えられない僕は、今までどのような功績を上げたかで考え、そしてピアノを選択した。ピアノは今までたくさんコンクールに出てきて、そこそこの賞は獲っていた。それに対してテニスは、トーナメントで連勝を重ねている訳でもなかった。だから僕は、これからピアノで進めは賞を沢山取れるのではないかという安易な考えでピアノを続ける事を選んだのだ。その安易な気持ちが、コンクールまでに間に合わないという大失敗をおかしてしまう原因の一つになったのではないかと今は感じる。
テニスも同じだが、僕はとにかく何かに集中じずっと同じ事をやり続ける事ができない。だが、この僕の弱点はあくまでピアノを練習しない言い訳だ。そんなことを考えている内にいつのまにか三年生になってしまう。三年になると受験しなければならなくなる。音楽家の道に進むならコンクールに出ることや受験などをもっと両立して行う力が必要だ。だが、僕にはそんな力を持っていない。だから、今でも本当にこの道で進むべきなのか、そして高校生になってもピアノを集中してできるのか心配になる。何より、ここまで指導してくださった先生や両親の今までの期待やかけてくれた時間を裏切るわけにはいかない。重いプレッシャーに押しつぶされそうになる中、僕はこんな言葉を知った。
「予想外の人生になっても、そのとき、幸せだったらいいんじゃないかな。」
松岡修造さんの言葉だ。その言葉のとおりだなと思った。僕は、ピアノに対し集中することができない事をずっと悩んでいた。だが、そんなことよりも大切なのは、ピアノをしなければならないという考えを改め、ピアノをしたいからする、という思考に変えるべきなのではないだろうか。ピアノというのは、人生を彩る道具なのだ。その道具をどのように扱うかで、僕の人生が変わるかもしれない。僕は、災害や戦争で心を痛めた人達を音楽で癒し笑顔にする、そんなピアニストになりたい。だからこそ、大きな壁にぶつかってもその夢を思いだして、幸せになれるよう努力することがいちばん大切なことなのだと思う。将来の夢は、他の人々と自分自身が幸せになる演奏ができるピアニストだ。
銀メダル 「楽しくない時間」を楽しむ
森石想良 勝山北部中学校
「楽しくない時間」を楽しむ
勝山北部中学校ニ年 森石 想良

「部活楽しい?」
母からの突然の問いかけに、私は言葉をつまらせてしまいました。
「うーん、どっちでもないかな」
こんなとき、私はいつも「普通」と答えています。アンケートの項目なら、「どちらかというとそう思う」のところぐらいだと思っています。楽しいときもあるけれど、それ以上に楽しくないときもあるので、楽しいかと聞かれて楽しいと答えるのは難しいことだと思っていました。
私がバレーをしていて「楽しい」と思うのは、サーブレシーブが上手くいったときや、試合に勝てたときなどです。その瞬間はバレーをやっていてよかったと思うし、もっと頑張ろう、とやる気も出てきます。でも、スポーツをやっている以上、絶対ミスはあります。先生に同じところを何回も言われたり、全然サーブもレシーブも上手いかないときは楽しくないし辞めたいとすごく思います。何で私はこの部活に入ったのだろうと頭の中で何度も後悔したことだってありました。それでも上手くできたときはうれしくて、もっと練習しようという気持ちになります。そんなサイクルのもと、私は今日まで折れることなく部活を続けてきました。
そんなとき私はふと思いました。「楽しくない」と思う時間を少しでも「楽しい」時間に変えることができたら、きっともっと部活もバレーも楽しくなるのではないか、と。
そこで私は、毎目の練習に目標を立てて行うことにしました。いつも練習前に今日の目標を言う時間があるので、そのときに今の課題を見つけ、それをもとに目標を立てます。そして、ただ立てるだけでなく、目標を達成するために一つ一つのプレーを考えて行うようにしました。しかしそんなに簡単には変わりません。目標を達成するまでの期間は短くないし、上手くいかないときは本当に上手くいきません。それでも毎日少しずつ、自分の課題と向き合えば、だんだんできるようになってきます。できないから楽しくなかったことも、できるようになれば「楽しい」へと変化します。それを一つ一つ積み重ねていくうちに、嫌だなーと思っていた練習も、楽しいと感じるようになってきました。今も練習は大変です。試合中は特に嫌なことや楽しくないなと思うことがたくさんあります。でも、それを「できるようになるためのレベル上げ」と考えると、ゆううつだった練習も楽しいと感じるようになりました。今まで「楽しくない」と思っていたのは、自分ができていなかったからなのです。
もし今、だれかに部活は楽しいか、と聞かれたら、私はきっと楽しいと答えると思います。楽しいことも、嫌なことも、全部ひっくるめて楽しいと思うからです。前はただ嫌なだけだったけれど、今は楽しみ方を知ることができました。「楽しいときは楽しいし、楽しくないときは楽しくない」、と前の私なら思っていたかもしれません。しかし、それは普通のことなのだと思います。だからこそ、その楽しくない時間をどう楽しむかが大切になってくると思いました。部活だけではありません。勉強でも習い事でも、楽しくないときはやってきます。そんなとき、私は部活でやったように、楽しくない時間も最後まで楽しみながら取り組んでいきたいです。
銅メダル 人の温かさ
安達結哉 北陸中学校
人の温かさ
北陸中学校 二年 安達 結哉

「寒いでしょ、入りな。」
この言葉が去年僕が一番印象に残っている言葉だ。去年、大雪の日。学校から早く帰れることになり、電車が止まったので初めてのバスで最初はドキドキして起きていたけれど、途中から暖かくて気が付いたら寝てしまっていた。降りるはずのバス停、僕は起きることなく、そのままバスは通り過ぎた。母がバス停で待っていてくれたが、ホワイトアウトでバス停から少し離れた場所にいてくれたため、バスは気が付かず、そのまま降りるはずのバス停を走り抜けた。
そして少ししてから、ハッと目が覚めた。見ると見たことのない場所。「え…ここどこ?」頭は真っ白。どうしようかと頭の中で色々と考えた。スマホは持っていなかったのですぐに母に学校のタブレットからメールをした。そんな状況でもバスはどんどん走って行く。二年前に関西から引っ越しをして来た僕は、家から先へは行ったこともなかった。母にメールをしてから「とりあえず降りよう。」とチャイムを押した。降りたものの、辺りは真っ白。しかも吹雪いている。周りを見ても、何もなく、一体どこに来てしまったのだろうと不安になった。
その時、ブワッと大きな雪と共に風が吹いた。見るとさしていた傘が折れていた。「うわぁ、最悪だ。」と小さな声が思わず出た。メールをしようとしたが段々かじかんでいた指の感覚がなくなった。と思ったら、その冷たさでタブレットが反応しなくなった。「どうしよう、やばいかも。」と心の中が不安でいっぱいになった。母にメールが出来なくなった。
辺りが真っ白の中、灯りが見えた。降りたバス停の少し先に二軒の家があった。周りには、その他には何もなく真っ白な雪だけだった。僕は人見知りをするので知らない家に行くなんて出来るはずもなかったが、その時はそんなことも考えず、気が付いたら足がその灯りに向かっていた。「どうしよう、ピンポンする?いや、知らない人だからな。」と心で思った。僕が悩んで玄関の前でウロウロしていたら突然、勝手口から女性の顔が見えた。
「寒いでしょ、入りな。」全く知らない僕に笑顔でそう声をかけてくれた。もう寒くて人見知りなんて言ってる状況ではなかった。「ありがとうございます。」とお礼を伝えると「中に入りな!寒かったでしょう。」とストーブのある暖かい部屋に入れてもらった。事情を説明すると、お母さん心配しているから電話しなと、電話まで貸してくれた。母に電話をして、迎えまで家にいさせてくれることになった。部屋に戻るとジュースが置いてあった。旦那さんがいて、色々と話をしてくれた。話をしていたら、僕の通っている学校の高校を卒業された大先輩だった。昔の話、大学の話、福井の話。僕が不安にならないようにとたくさん話をしてくれた。二時間くらいしてから父が迎えに来てくれた。お礼を伝えて出ようとしたとき、
「勉強がんばるんだよ!」と優しい声が聞こえた。振り向いて、「はい、ありがとうございます。」と言って家に帰った。
あの時、もし声をかけてもらえなっかたら、僕はどうなっていたのだろうかと思うことがある。見ず知らずの僕を何も聞かず、すぐに家に入れてくれた。人の温かさを実感した日だった。もし困っている人がいたら、この日の恩返しで僕も助けようと決めた。その優しさの連鎖が、色々な人に繋がればいいと思う。
雪の解けた日曜日。両親とお礼に行った。車に乗ろうとしたら、「勉強がんばるんだよ!」と後ろから聞こえた。あの笑顔、そしてあの優しさ、僕はきっと一生忘れることはない。
銅メダル 気の合わない人と関わっていくうえで
三井さやの 勝山北部中学校
気の合わない人と関わっていくうえで
勝山北部中学校二年 三井 さやの
人には必ず嫌いだとか苦手だと感じる人がいるものだと私は考えます。「いなくなってしまえばいい。」「もう関わりたくない。」などと思ってしまうこともあるかもしれません。
ではそのような人は自分にとって不要な存在なのでしょうか。私はそう思いません。なぜなら祖母が私に教えてくれたからです。
私の祖母は男子しか育てたことがなく、昔から私より兄にいつもかまっていました。居心地の悪かった私はしだいに家へ遊びに行かなくなりました。久しぶりに会うと気まずく変わらない祖母の真面目さに私は、「やっぱりおばあちゃん苦手やなあ。」と感じていました。たまに祖母からくる、体調を気遣ったり近況を聞いたりするラインをはじめはしっかり返していたもののどこかめんどうくさいと感じてしまいスタンプで返すことが多くなっていきました。
同じ勝山市に住んでいたのに半年も会っていませんでした。そんな二年前の冬の朝、兄と二人で朝食を食べていると玄関が開き「おい!行くぞ!」と言う祖父の声が関こえてきました。父を呼んでどこかく行くようです。すると母が、「ばあちゃん入院してて容体が悪化したんだって。」と言ってきました。入院していたことに兄と二人で驚きましたが、その時は普通に学校へと行きました。
家に帰ると、母から祖母が亡くなったと聞きました。今までの色々な思い出がよみがえってきてとても悲しくなりました。それと同時に嫌いだった人が亡くなった瞬間気持ちが変わる自分に嫌気が差しました。それから私は母からたくさんのことを聞きました。祖母が約十年がんと向き合っていたこと。亡くなる前、「家に来て大切な着物を私に受け取ってほしいと言っていたこと。その他にもたくさんの私が知らなかったことを聞きました。その時に祖母は兄だけでなく私のこともたくさん考えてくれていたんだと気づくことができました。祖母とのラインのやり取りを見返していた時、祖母の優しいメッセージに対する私のそっけない返事を思い出してとても申し訳ない気持ちになりました。
ここで私が言いたいのは「嫌い」「苦手」だと思った人も自分にとって大切でとてもかけがえのない存在かもしれないということです。そしてそれにはなかなか自分で気づくことができません。私のように気づくのが遅かったなんてこともあるかもしれません。祖父母や両親は多くが私たちより先に亡くなります。私はその時に後悔しないように今の時間を過ごしたいです。
中学生で今反抗期だという人も多いのではないでしょうか。反抗期だからといって家族を拒絶したり、傷つけたりしていませんか。遠い大学へ行ったり就職したりすると家族とすごす時間が今より減ります。さらに、家族も年をとるので元気なうちに会えるうちにたくさん思い出を作ってください。
私は祖母の死で多くのことを学びました。今でも祖母のことを好きになれない部分もあります。しかしとても大切な存在だと気づきました。祖母から学んだことを今いる家族に対して活かしていきます。祖父ともたくさん会って、たまには「ありがとう。」と言おうと思います。
学校生活をおくっていくなかでも気の合わない人はいます。でも相手の良いところを理解できるよう努力していきます。そうしていくうちに私と合うところが見つかるかもしれません。気の合わない人に対しても感謝の気持ちをもってうまく関わっていきたいです。これが人としての成長だと思います。これからたくさんの人と関わって成長していきたいです。
銅メダル 見るべき場所は前だけじゃない
加藤ゆうな 勝山中部中学校
見るべき場所は前だけじゃない
勝山中部中学校 二年 加藤ゆうな

「パチッ。はい、大手。」
「あーあ、また負けちゃった。おじいちゃんは強いね。」
私は小学校の時将棋が好きで祖父の家に行く度に祖父と将棋を打っていた。
ある日、いつものように将棋を打っていると、祖父が、 「自分の駒やプレーに集中しすぎているから、もっと周りを見て相手の隙や次の行動を考えて打つといいよ。」 と言った。私はそのことを意識して、いつものようにまた将棋を打った。周りが見えている分、先が読めて、やっていてとてもワクワクした。周りを見るだけで、こんなにも変わるものなんだと知って将棋がもっと楽しくなったし好きになった。将棋を打っている時間も増えて、時には、半日間ずっと将棋を打っていることもあったし、学校でも空き時間は、ほとんどの時間を友達と将棋することに費やしていた。
しかし、まさかその行き場が、その力が、今の部活に関連するなんてその時は思ってもみなかった。
私は今、ソフトテニス部の一員として一生懸命に取り組んでいる。私は、技術が優れているわけではない。しかし、相手の隙や特徴、弱点などを利用して試合をしている。これらはすべてコート全体を見なければできないことだ。前衛と後衛のどちらかだけを見ていても、隙や弱点を見つけられることはできない。私の中で無意識のうちにソフトテニスと祖父の「全体を見る」という言葉は結びついていたのだ。
王将は相手の隙、周りの駒は相手の前衛と後衛だ。私はコートの上に立っていても、将棋のようなテニスをしていたのだ。相手の王将を勝ち取るために相手の前衛や後衛を動かして、その隙を狙う。そして王将を勝ち取る。その繰り返しが私を勝利に導いてくれる。自分がコート上に立つとき、緊張と共にワクワク感が込み上げてくるのは、きっと将棋をプレーしてるような気持になるからだと思う。敵の隙を自分自身で生み出して王手をかける。この瞬間は私が将棋、テニス、共に一番好きな瞬間だ。例えば今年の秋の地区新人大会。私は県大会出場を手にするために、後衛を動かして王手を作り、点数をとった。勝った時は喜びもあったけど楽しかったとも思った。それだけテニスが好きなんだとも改めて実感した。
もし、私が将棋をやっていなかったら、祖父がその言葉を言わなかったら、私はきっとコート全体を見れていなかっただろうし、もちろん、隙や弱点、特徴などを利用してプレーもできなかっただろう。祖父の言葉は私の中で一つの技術のようなものになっていたのだ。
私と同じようにコートを使ったスポーツをしている人はいっぱいいる。でも全員が私と同じプレーをしているかと言われたら絶対違う。だから、みんなが一番自分らしくいれる瞬間なんじゃないいかと私は思っている。私もコート上で自分らしいプレーを心がけている。コートを見るだけではない。サーブ・レシーブなど一球一球丁寧に打っている。もちろん将棋もだ。いつも自分の将棋を心がけている。
私がテニスを好きで楽しいと思えたのはきっと祖父のおかげだ。祖父が将棋を教えてくれたから、今の私がいる。敗れたり、失敗することももちろんあるけど、めげずに前向きに頑張っている。だから、これからも将棋と祖父の言葉と共にテニスに挑み続ける。それが私の好きなテニスだから。今日も私は「テニスコート」という名の将棋盤の上に立って「テニス」という名の将棋を打つ。

【中学校】3年生

金メダル 私が興味をひかれていること
吉村和香奈 北陸中学校
私が興味をひかれていること
北陸中学校 三年 吉村和香奈
例えば、同じ本を読んだのに感想が人と違う時。そんな時私は、何をどう感じたらそう思うのだろうかと、その人の「目線」がひどく気になる。全く違う人生を送ってきたからこそ生じる目線の差異。目線が違えば物語は悲劇にも喜劇にも成り得る。要するに私は、私目線ではない物語と、それを造った「目線」にひどく興味がひかれるのだ。
「目線」とは物事の見方や考え方のこと。人間の数だけ目線は存在する。では何故目線は人それぞれなのか。それは、冒頭にも述べたように、全く違う人生を歩んできたからなのではないか。これを当たり前のことだと思う人がほとんどだと思う。だけど、見ていたテレビ、暇を潰すために読んだ本の内容などといった些細なことでも、後々大きな違いに成り得るというのが、なんだか残酷にも面白くも思えてしまうのだ。
目線はその人の人生を象徴していると私は思う。だから到底理解し得るものではないけれど、少しでもこうなんじゃないかという答えに気づいた時、全く違う人間になったように錯覚する。そうすると、今まで見ていたもの全てが新鮮で、何かしたいとうずうずしてしまう。でも頭の中を見られるわけではないから、人間の目線に対する「こうなんじゃないかという答え」に気づくことはなかなか出来ない。だからこそ私は本が好きだ。仮ではあるけれど、誰か目線で世界を見ることが出来る。これは本にしか成せないこと。本を読み終わるごとに、私は角度の違う目線を手に入れることが出来る。
自分とは違う目線を理解することが出来たら、どんなに辛いと思っても、違う感情にもっていくことが可能なのではないだろうか。もし辛いという感情を変えることができなくても、辛いという状況を変える方法を目線の数だけ見つけることが出来る。逆も然りだ。どんなに幸せでも、目線を変えれば不幸に成り得る。模索しながら、少しでも生きやすい目線をそれぞれが持てればなと思う。
私にはもう一つ興味をひかれるものがある。それは言葉だ。言葉を使って私たちは考えや感情を人に伝える。言葉の中には「好き」や「嫌い」などといった、感情そのものを表したものもある。人は今持っている感情に最も近い言葉を選んで伝えるだろう。だが、それらの言葉は本当に心にある感情を表しきれているのだろうか。感情は数文字で収まるようなものではないと思う。だからこそ人は、視線で、しぐさで言葉にはのせきれない感情を伝えているのだろうか。こう考えていると、自分の感情と似た言葉が見つからなくて、必死に身振り手振りすることがないように語彙力をつけたいなとしみじみ思った。
また、世の中には言葉と感情が真逆な人もいるのだから、言葉だけを信じるというのは難しいとも思った。視線や仕草で人の性格を計ろうとする人がいるのも納得だ。察するということの難しさと奇妙さを感じた。条件が特に明記されているというわけでもないのに、状況によって言葉の意味が変わるというのは、本当に面白い。
銀メダル フェイクニュース
渡邉晴乃 清水中学校
フェイクニュース
清水中字校三年 渡邉 晴乃

「◯◯町の××さんが福井に持ち込んだ。」
「△△さんが□□で発症したらしい。」新型コロナウィルスが福井県ではやりはじめた当初このょうな情報が大量に出回りました。その情報が正しいのかどうかも考えずに多くの人がそれを信じ、批判したり周りの人に広めたりしました。名前も顔もわからない多くの人に噂されてしまった人は悲しくて怖かったと思います。コロナウイルス流行中に多くの人に広まった、個人を傷っける様々なうわさ。その中に正しい情報がどれだけあったか、誤った情報により被害を受けた人がどれだけいたのか。そんな人をこれから少しでも減らしていくために私たちにできることはないでしょうか。私はそのためには、私達一人一人が情報の真偽を見極める方法を知る必要があると考え、三つの方法を調べました。
一つ目は、情報の発信元を知ることです。
その情報が政府や公式から発信されたものでない場合、その情報を完全に信じ込んでしまうことを防止できます。また、インターネットから得られる情報だけでなく家族や友達からの情報にも注意が必要です。これは、自分が信頼している相手からのものなのでより信じ込みやすく、より拡散しやすくなってしまいます。
二つ目は、複数のメディアが発信する情報を比べることです。新しい情報を知ってすぐ拡散するのではなく、他のメディアからの同じ内容についての情報と見比べることで違った立場から新たな視点で物事を捉えることかできると思います。かたよりのない客観的な広い視野を持って、自分とは異なる意見に接することが情報を正しく活用するために大切です。
三つ目は、情報が発信された時期を確認することです。投稿時期が古いものはその問題がすでに解決しているかもしれません。だから、それについての最新の情報を探して現在の状況をよく知ることが、誤った情報の拡散や信じ込みすきることの防止につながります。
このように、一つの情報をいろんなメディアを利用して客観的に見ることでそのニュースや投稿が本当なのか間違っているのかを見抜くことができます。衝動的に拡散するのではなく、その情報の真偽をよく見極めてから他の誰かが悲しい思いをすることのない言動をしていきたいです。そうすることでみんながインターネットを楽しく気持ちよく利用できると思います。
銀メダル 君の普通
小野田笑海溜 北陸中学校
君の普通
北陸中学校三年 小野田 笑海溜
私は友達と話しているときに、よく「普通は…」「普通さ…」という言葉をよく耳にします。ここで質問です。普通とは何でしょうか。
私は、普通について知るために辞書を開きました。すると「他と変わっていないこと。
めずらしくないこと。ごく当たり前であること。」と記してありました。それを見て私は、普通とはそれぞれの主観であり、客観的に見るとその人の普通は普通ではないと考え、それをもっと知ってほしいと思いました。しかし、なぜ人はこの普通という言葉をこんなにもよく使うのでしょうか。
このことについて、私は二つの解釈をしました。まず一つ目は、自分にとっての普通を共有したいという思いから、という解釈です。これは、自分と相手の価値観を合わせるため、もしくは似ている、同じであることを確認するために用いられます。これによって普通、は相手と話を合わせるための鍵へと変化します。二つ目はを自分にとっての普通を相手におしつけるためという解釈です。これは、一つ目とは異なり、相手ではなく自分中心、要するに自己中心的な考え方です。この使い方をすると、相手と対等どころか、支配する手口にもなりかねません。つまり、同じ普通という言葉でも使い方によっては善になったり悪になったりと、簡単に変化しうるのです。
私がまだ小学生の頃のことです。ほんの些細なことで、当時のクラスメイトとけんかをしてしまいました。原因は算数の宿題で出ていたドリルの貸し借りです。私はいつも通り宿題をして、提出をスムーズに行うためにそのドリルを机の上に置いて、隣のクラスの友達と話をしに行きました。帰ってくると私の机の上にあったはずのドリルがなくなっているではありませんか。私はあせってまわりを見わたすと、私の前の席の子が、二冊の同じドリルを机の上に置き、私の筆跡のドリルの答えを自分のドリルに写していました。そして私のドリルをなぜ持っているのか問うと、「宿題を忘れたから普通に貸してもらっただけだよ。いつも何も言われないけれど…。何か間違えた問題でもあったの?」という返答がありました。無論、私は「貸すよ」とは一言も言っていません。私は普通、「借りる」は確認をとって、了承されてこそ成り立つものだと思っていました。しかし、その子は普通「借りる」とは勝手に取って行って、後でお礼さえ言えば成立するものだと考えていたのでしょう。つまり、私の思う普通と、その子が思う普通が違っていたということです。この出来事があってから、私は自然に普通という言葉を使うことを避けていきました。
このように、普段何も考えずに発しているこの普通という言葉は、時にけんかの火種にもなりかねません。あと、この言葉を使うことでしなやかさを失い、他人の意見を取り人れなくなることも少なくはありません。自分の普通にしがみついているのです。
今は多様性の時代です。だからこそ私は、自分の普通にとらわれず、相手の普通も受け入れられるような心を持つことが大切なのだと私は考えます。そのためにはまず、普通という言葉を使うのを一度やめてみてほしいです。そうすることによって視界が広くなり、新しい世界が開けるのだと私は信じています。
銅メダル 言葉
林由佳 清水中学校
言葉
清水中学校三年 林 由佳
みなさんは、日常でどのような言葉を使っていますか?私は若者の多くが自分の感情を「ヤバイ」と表しているので、私たちが習った言葉は原型がないように感じます。
私は、若者が使う言葉はどのようなものがあるか調べました。一つ目は「それな」です。この言葉はみなさんよく使っていると思います。例えば、「これ、めっちゃおもしろいよね。」「それな」のように、共感するときに日常的に使う言葉です。また、日常的な言葉の中に「チルしたい」という言葉があります。みなさんこの言葉の意味分かりますか?この言葉は「ゆっくりしたい」「くつろぎたい」という意味です。この言葉を聞いて「原型がない。」と思った人もいるのではないでしょうか。なぜ違う言葉を使うのでしょう?だから私はこの言葉はどうやって生まれたのか調べました。「チル」は英語で「まったり」「くつろぐ」という意味のchill outから生まれたそうです。このように、言葉にはどれも意味があります。
では、なぜこのような複雑な言葉を使うのでしょう?私は、海外との交流な盛んなことが原因だと思いました。海外で流行したものは日本に大きな影響を与えます。だから、今まで日本にない言葉を広めることができると思いました。
しかし、年々変化し続ける言葉ですがメリットとデメリットがあります。
デメリットは自分の品を下げてしまうことです。だからおおらかな性格の子も「元気な子」と、誤解されてしまいます。だから、誤解している相手に変に期待されてしまったりしてしまいます。
またメリットは友達と仲良くなりやすいことです。友達とコミュニケーションをとることは、学校で楽しく過ごすためにとても重要なことです。気軽に話せると、場が盛り上がりやすいのでより楽しく話せると思います。
私は日常で若者の言葉を多く使います。しかし、社会では敬語を使わなければいけません。 なぜ、使わなければいけないのでしょう?それは社会では相手に敬意を表すことが重要だからです。敬語を使い相手を不快にさせず上下関係をしっかりすることが社会ではとても重要なことです。
このように、若者の言葉にはメリットとデメリットがあります。だから私は、友達と話すときは若者の言葉を使い、上の人と話すときは敬惑を使うなどと意識したいと思いました。これからも言葉は変化し続けると思います。その中で、私たちはコミュニケーション能力を高め、上の人には敬意を表すという切り変えがとても必要になってくると思いました。
銅メダル 人口減少と私達の未来
永井佑奈 勝山南部中学校
人口減少と私達の未来
勝山南部中学校 三年 永井佑奈
私達が住む日本は世界に比べて少子高齢化が進んでいる国です。そのため、私は少子高齢化による問題や、少子高齢化がもたらす影響・少子高齢化がもたらす日本の未来について考え、調べることにしました。
まず最初に、少子高齢化による問題について調べました。小子高齢化は日本で起きている深刻な問題です。
少子化とは、合計特出生率が人口を維持するのに、必要な水準を相当期間下回っている状況と定議しています。合計特殊出産率とは15歳から49歳までの女子の年齢別出生率を合計したものです。
続いて高齢化ですが、0から14歳を年少人口、15歳から64歳を生産年齢人口、65歳以上を高齢者人口としたとき、総人口に占める高齢者人口が増大していることを表します。
日本の二〇二二年時点のデータによると、出生率と合計特殊出生率についてですが、第一次ベビーブームがあった一九四九年の出生数は二六九万人で、合計特殊出生率は、四・三二と過去最高でした。それに対して、第二次べビーブームがあった、一九七四年の出生数は二〇九万人で、合計特殊出生率は、二・一四のと減少しています。そして現在二〇二〇年時点では、出生数が八四万人、合計特殊出生率が一・三ニとなり、出生数は過去最低を記録し続けています。このデータから、現在の日本は少子化が急速に進み総人口の減少が抑えられず、高齢者人口の大幅な増加により超高齢化社会に突入していることが、問題なのです。
次に、少子高齢化がもたらす影響について調べました。
少子高齢化がもたらす影響は三つあります。経済への影響、自治体への影響、社会保障制度への影響です。
まず、経済への影響とは、人口急減、超高齢化に向けた現状のままの流れが継続していくと、労働力人口は、加速的に減少していき、労働力不足解道のための、長時間芦画の深刻化や、ワーク・ライフ・バランスが改善されないことにより、少子化がさらに進行していき、経済へのマイナスの負荷になっています。経済規模の縮小が始まると、さらに縮小をまねき、負のスパイダルにおちいる恐れがあります。国民負担の増大が経済の成長を上回り実際の国民生活の質や水準を表す、一人当たりの消費水準を低下させ、国民一人一人の豊かさがうばわれるような事態が訪れる可能性があることです。
次に自治体への影響とは、超高齢化になると、地方を中心に四分の一以上の自治体で行政機能をこれまでどうりに、維持していくことが困難になる可能性があることです。今までどうり、行政はービスをしっかり受けられない事態をまねきかねません。
そして、社会保障制度への影響とは、医療介護費を中心に社会保障に関する給付と負担の間のバランスが悪くなることです。社会保障がしっかりと受けられないと大変です。
最後に少子高齢化がもたらす日本の未来について考えました。深刻な少子超高齢化の問題は将来の経済や社会の担い手の減少を社会保障制度の特続などの問題に直面しています。
これからの自分達の生活に大きく影響が出るので、私たちも一丸となって問題に取り組む必要があると思います。私たちの住む日本の社会を維持していくために、日本の政府や日本の企業などが子育てしやすい環境づくりをさらに強化して、取り組んでもらいたいと思います。すべては、私達の未来のために、ストッア少子化、そして私達が住む勝山市がいつまでも、活気ある町であり続けていくために、若い私達ができることは何かを考えていきたいと思います。
銅メダル 私が心がけていること
小出里萌音 北陸中学校
私が心がけていること
北陸中学校 三年 小出 里萌音
私は、人を褒めるのが好きです。なぜなら、相手が嫌な思いをすることがないし、自分の気持ちも素直に伝えることができるからです。また、相手の良いところを見ることによって、さらにその人のことを好きになることができます。そのため、私は、一日に一回は人を褒めることを心がけ、習慣にしています。
「褒める」という行為には、デメリットがありません。相手も自分も、良い気持ちになれて、とても良いものです。とはいえ、むやみやたらと褒める、というのは違うと思うし、信用を失いかねません。大事なことは、嘘やお世辞を含まず、自分が心から思っていることだけを相手に伝えることです。
私の周りには、自分に自信を持っていない人が多いと感じています。私は、その人の短所も長所に変えたいし、もっと自信を持って欲しいと思っています。だからこそ、「あなたはこんなに素晴らしい人なんだよ!」ということを言葉にして伝えたくなってしまうのです。そして、少しでも笑顔になってくれたら、とても嬉しいです。
私は、昔から、「人の良いところを見つけよう。」ということを意識していたので、最近では、慣れてきて、意識せずとも褒め言葉が口から出てくるようになりました。しかし、薄っぺらい口先だけの言葉になってしまうのは嫌なので、しっかり気持ちを乗せて、本心を言うように心がけています。
これらの習慣からか、私には「嫌いな人」というのがいません。「みんなちがって、みんないい。」という言葉がある通り、それぞれの個性を大切にしてあげたいと思います。色々なことに寛容的な人になりたいです。そして、これから先、人付き合いをしていく上で、何十回、何百回と人を褒める機会があると思います。その時に、サラサラッとスマートに褒め言葉が言える、褒め上手な人にもなりたいです。そのためには、やはり普段からの習慣が大事だと思うので、これからも続けたいです。
「あなたって人の悪口を言わないよね。本当に尊敬してる。」そう、友達から言われた時は、とても嬉しかったのを覚えています。悪口を言わない、というのは当たり前のことではありますが、普段の何気ない行いでも、見てくれている人はいるのだなぁと実感し、感動しました。
世の中には色々な人がいます。人の気持ちを考えずに嫌な言葉を言ってくる人、裏で悪口を言う人、など様々です。ですが、自分が相手を理解し、好きになれば、相手も自分さ理解してくれると信じています。人を理解するという面でも、「褒める」という行為はとても重要な役割を担っているのではないかと思います。また、意識し始めてからは自分自身もポジティブでいられて、性格が明るくなった気がします。やはり、習慣は大事だし、自分の気持ち・意識次第で、大分周りへの見方は変わってくるな、と感じました。私は、これからも、「人を褒める」ことを通して、明るく、ポジティブな人でありたいです。