野球伝来150年の年 キラキラした思い出になりますように
2022.08.02 Tuesday
第104回全国高校野球選手権 福井大会は、敦賀気比高校が優勝し
夏の甲子園出場を決めました。

敗れた北陸高校は、ベンチ入りメンバー20人のうち18人が試合に出場し、
敦賀気比の10安打を上回る14安打。まさに総力戦でした。
北陸は、春の県大会の初戦をコロナで辞退。
敦賀気比も春の県大会、準々決勝で出場を辞退。
試合終了後にお互いが健闘を称えあう姿が、特別な時間に感じられました。
今大会もコロナの影響は避けられず、1回戦をサヨナラ勝ちした羽水高校が辞退。
選手たちは、どれほど悔しかったことでしょう。
昨年の夏、辞退となった福井商業高校は、来年につながる全力プレーでした。
3年生は、入学当初からコロナの影響を受け続けてきた世代です。
コロナと戦った3年間は、将来、きっとキラキラした思い出になるはずです。

夏の甲子園、いよいよ8月3日が抽選会。8月6日開幕です。
すべての代表校が、全力を尽くせるように願っています。
敦賀気比の全力プレーが楽しみです。
今年、2022年は、日本に野球が伝えられて150年という記念の年です。
「野球伝来150年特設サイト」によると
野球は、外国人教師として来日した米国人、ホーレス・ウィルソンによって、
1872年(明治5年)に日本に伝えられたそうです。
ウィルソンは1872年、第一番中学(現・東京大学)で、英語や数学を教えるかたわら、
生徒に野球を教えました。翌年、校名が開成学校となり、立派な運動場ができると、
攻守に分かれて試合ができるまでになりました。これが「日本の野球の始まり」といわれています。ウィルソンが伝えた野球は、日本全国へと広まっていきました。

野球の日本伝来150年の記念事業として
全国各地の「日本野球聖地・名所150選」が選定され、
福井県内からは「福井県営球場」と「福井市営球場跡」が選ばれています。
※福井県営球場は1968年の福井国体に向け、1967年に開設。
※福井市営球場(福井市野球場)は1948年に開場し、県営球場開設までは
県内のメイン球場としての役割を担いました。跡地は公園として整備されています。
夏の甲子園出場を決めました。

敗れた北陸高校は、ベンチ入りメンバー20人のうち18人が試合に出場し、
敦賀気比の10安打を上回る14安打。まさに総力戦でした。
北陸は、春の県大会の初戦をコロナで辞退。
敦賀気比も春の県大会、準々決勝で出場を辞退。
試合終了後にお互いが健闘を称えあう姿が、特別な時間に感じられました。
今大会もコロナの影響は避けられず、1回戦をサヨナラ勝ちした羽水高校が辞退。
選手たちは、どれほど悔しかったことでしょう。
昨年の夏、辞退となった福井商業高校は、来年につながる全力プレーでした。
3年生は、入学当初からコロナの影響を受け続けてきた世代です。
コロナと戦った3年間は、将来、きっとキラキラした思い出になるはずです。

夏の甲子園、いよいよ8月3日が抽選会。8月6日開幕です。
すべての代表校が、全力を尽くせるように願っています。
敦賀気比の全力プレーが楽しみです。
今年、2022年は、日本に野球が伝えられて150年という記念の年です。
「野球伝来150年特設サイト」によると
野球は、外国人教師として来日した米国人、ホーレス・ウィルソンによって、
1872年(明治5年)に日本に伝えられたそうです。
ウィルソンは1872年、第一番中学(現・東京大学)で、英語や数学を教えるかたわら、
生徒に野球を教えました。翌年、校名が開成学校となり、立派な運動場ができると、
攻守に分かれて試合ができるまでになりました。これが「日本の野球の始まり」といわれています。ウィルソンが伝えた野球は、日本全国へと広まっていきました。

野球の日本伝来150年の記念事業として
全国各地の「日本野球聖地・名所150選」が選定され、
福井県内からは「福井県営球場」と「福井市営球場跡」が選ばれています。
※福井県営球場は1968年の福井国体に向け、1967年に開設。
※福井市営球場(福井市野球場)は1948年に開場し、県営球場開設までは
県内のメイン球場としての役割を担いました。跡地は公園として整備されています。