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第65回図画作文コンクール 作文部門 入賞作品

第65回図画作文コンクール 作文部門 入賞作品

福井県下小学校児童および中学校生徒を対象とした第65回福井県小中学校図画作文コンクール

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※作品は原文のまま記載させて頂いております。

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小学生 1年生

金メダル
竹とんぼ
伊藤 ちず 三室小学校
竹とんぼ
三むろ小学校 一年 いとう ちず
三むろまつりで、わたしたちは、ジュースやさんをしました。ほかにもいろいろなおみせがありました。
おみせばんがおわってから、おかあさんとくじびきやさんにいきました。ぼうをまわすと、六かくけいのはこのなかから、みどりいろの小さいたまがでてきました。そしたら、
「すきなものえらんでいいよ。」
といわれました。わたしは、竹とんぼをえらびました。竹とんぼは、オレンジいろで、プラスチックでできていました。
いえへかえって竹とんぼをやってみました。わたしは、ほいくえんのねんちょうさんでもやったことがあります。でもとばすのがむずかしくて、一かいしかとばせませんでした。
こんども、はじめは、じょうずにできません。お父さんがとばしかたをおしえてくれました。竹とんぼは、ぼうのところをまではさんで、手をずらしてぼうをまわします。まわしながら手をはなすと、とんでいきます。
なんどかやってたら、竹とんぼがくるくるとまわって、とうとうとんでいきました。わたしは、
「やったあ。」
といいました。わたしは、竹とんぼがすきになりました。だから、もっとほしいなとおもいました。どうしてかというと、一こしかないと、こわれたらあそべなくなるからです。いっぱいあればこわれてもまたあそべます。
わたしは、なんかいも竹とんぼをしてあそびました。それから、もらったおかしをたべました。おいしかったです。三むろまつりに竹とんぼをもらえてよかったです。
銀メダル
たのしかったかぞくりょこう
松川 奈央 高椋小学校
たのしかったかぞくりょこう
たかぼこ小学校 一ねん まつかわ なお
なつ休みに、かぞくで大さかばんぱくにいきました。日本かんとインドかんとブルガリアかんにいきました。ほかにもいろいろなくにのところにいきました。
わたしが一ばんたのしかったのは、日本かんです。どうしてかというと、空とぶくまがあったからです。くまは、五か六こあってひもでつり下げられていました。ドッチボールのボールくらいの大きさです。いろいろないろがあって、きれいでさわってみたいとおもいました。キラキラしていてかわいいとおもいました。うちゅうにうかんでいるようで、目がまわってびっくりしました。
インドかんには、たいこがありました。わたしもすこしだけたたきました。するとポンポンといい音がしました。わたしの手はまっかになったけど、おもしろかったです。
ブルガリアかんには、からだをよくするためのキャラクターがいました。あかいろとみどりいろで、でこぼこのかたちとをしていました。そのキャラクターがとてもかわいかったです。
まるい大きなやねのところにのぼると、しばふがありました。そこでおねいちゃんとおいかけっこをしてあそびました。おとうさんは、じめんでねっころがっていました。おかあさんはしゃしんをとっていました。人がたくさんいたばんぱくだったけど、しばふのところではのんびりできました。
ばんぱくには、ミャクミャクというキャラクターがたくさんいました。とてもかわいかったです。いろいろなところでミャクミャクとしゃしんをとりました。かぞくがしゃしんをいっぱいとったから、カメラがいっぱいになってしまいました。
みんなでいったかぞくりょこうは、とてもたのしいおもい出になりました。

小学生 2年生

金メダル
もしも、ズートピアのせかいに行けたら
東 初音花 高椋小学校
もしも、ズートピアのせかいに行けたら
高椋小学校 二年 東 ほ音花
今日、えい画かんに父と母と三人で行きました。テレビのよこくが、とてもおもしろそうだったのでズートピア2が見に行きたくなりました。
ズートピアとは、どうぶつたちだけでくらしている町です。そのどうぶつたちは、人間のようにふくをきたり話すこともできます。このズートピアは、肉食どうぶつと草食どうぶつがたすけ合って、いっしょになかよくくらしている理そうの町です。
もしも、わたしがズートピアのせかいに行けるとしたら、どうぶつたちとお話が出来るようになりたいです。そうしたら、ニュースでながれているくまやイノシシの問だいもあっと言う間にかいけつです。どのようにかいけつできるのかというと、おなかのすいているくまやイノシシの話を聞いてすきな食べものをあげます。そして、くまやイノシシに話を聞いてもらってもう人間をおそわないとやくそくしてもらいます。人間の方もどうぶつたちのいけんを知ってほしいと思います。
おととい、家のしゃこにねずみが出ました。わたしのばあちゃんが、スーパーでねずみとりを買ってきてしゃこのすみにわなをしかけました。そのわなに、まだ小さな赤ちゃんねずみがつかまってとてもかわいそうでした。でも、わたしのじいちゃんが「ねずみは、ほうっておくと家の電線をかじって大へんなことになるから、かわいそうだけれどし方がないんだよ。」と言っていました。もしも、ねずみとわたしが話すことが出来たら、こっそりにがしてあげられたかもしれません。
このえい画を見てズートピアは、あらそいごとも話し合えばかいけつできるのが、わたしにとって理そうのせかいです。せかい中がズートピアのような町だったら、あらそいごともおきずに毎日みんながわらってしあわせなせかいになると思います。
銀メダル
おきなわけん楽しかったよ
松田 蒼史 高椋小学校
おきなわけん楽しかったよ
高椋小学校 二年 まつ田 あおし
ぼくは、十月のおわりにおきなわけんに行きました。おきなわに行く前は、ただのまちだろうと思っていたけれど、おきなわはすべてがすてきでびっくりしました。海の色がとてもきれいで、くもはおいしそうなわたがしみたいでした。木が、ぼくのすんでいる町に生えているのとぜんぜんちがっていて、はっぱがもりもりして、みきがくびれた木がいっぱい生えていました。ヤシの木やハイビスカスがそこら中に生えていました。まち中にシーサーがいました。シーサーはおきなわのまもりがみだそうです。
「チュイーンス、チュイーンス」
という音が聞こえてきました。木を見ると、ピカピカに光ったみどり色のセミがないていてびっくりしました。そして、おきなわの家のやねはオレンジ色でした。空にはせんとうきが大きな音をたててとんでいました。おきなわは、ぼくがはじめて見るものであふれていました。おきなわはキラキラしていました。
家ぞくでしゅりじょうというおしろに行きました。かいせつの人が、
「しゅりじょうのせかいいさんは、土台のぶ分です。」
と言っていました。ぼくは、今ふくげんしている、カラフルなたてものがせかいいさんだと思っていたのでとてもおどろきました。
ちゅら海水ぞくかんにも行きました。ぼくが一番すきになったのはマナティです。ゆっくりとしたうごきでレタスを食べていました。とてもかわいかったです。かってもらったぬいぐるみはぼくのたからものになりました。
今も、おきなわのことを思い出します。おねえちゃんとおきなわの歌を歌ったり、エイサーをおどったりしています。これからも、まだ知らないおきなわをもっと知りたいです。そして、またおきなわけんに行きたいです。
銀メダル
マラソンがすきになったわけ
寺尾 美音 高椋小学校
マラソンがすきになったわけ
高椋小学校 二年 寺お み音
私はマラソンがにが手です。一年生のマラソン大会もうしろの方でした。泣いてしまうくらいとてもくやしかったので、二年生のマラソン大会は、ぜったいにはやく走れるようになりたいと思っていました。
マラソン大会が近づいてきたので、今年は夏休みかられん習をはじめました。とってもあつかったので、れんしゅうもたいへんでした。はしりながら、順位が上がれるか、とてもふあんになってきました。毎日毎日れんしゅうをかさねるうちに、早くなってきて、だんだんじしんがついてきました。
マラソン大会の前日は、わたしが
「わたしならぜったいできる。」
と思いながらねました。本番当日、さいしょはきんちょうしたけれど、スタートしてからさいごまであきらめずにはしれました。さいしょはおそくて
「大じょうぶかな。」
としんぱいしたけれど、とちゅうで七人ぐらいおいこせて
「やったー。」
と思いました。でもさいごの一しゅうで、二人においこされて、とてもくやしかったです。順位は18位で、一年生のときよりもはやくはしれてとてもうれしかったです。
そのあと古じょうマラソンにも出ました。二キロ以上走れるかふあんだったけど、マラソン大会がおわってもれんしゅうをつづけて前日にはロケットみたいにポンポン走れました。本番は、きんちょうもしたけど、ワクワクもしました。二キロはとても長くて、雨もふっていてたいへんだったけれど、見ている人たちがおうえんをしてくれてやるきがでてはしれました。いちどもあるかずにかん走できたのでよかったです。けっかは、六年生もおいこせて、46位でした。たくさん走って、マラソンがとても大すきになりました。
銅メダル
うでがぬけた
市川 悠貴 高椋小学校
うでがぬけた
高椋小学校 二年 市川 はるたか
ある日妹の足を引っぱったら、うでがぬけました。ぼくはむかし、うでがぬけたことがあるので、ぬけやすくなっています。だからうでがぬけたとわかったのです。もういたみがわかっています。どくが入ったみたいです。まげられなくなって、いたすぎて、いたすぎて、歩く時にいたくなります。
その日は、土曜日だったので、びょういんがやっていなくて、だからきゅうきゅうびょういんに行きました。そのびょういんのうけつけがどこか分からなくてこまっていました。すると、大学生が
「あん内しますよ。」
と言って、いっしょについてきてくれました。そしてしんさつできました。うでをさわって色色な角どにまげてしらべてくれました。とてもいたかったです。レントゲンもとりました。手をまげて
「うごかさないでください。」
と言われて、うごかなかったけど、じっさいはいたかったです。そのレントゲンでほねがおれてないとわかって、ちょっとほっとしました。丸いわっかのようなほねがあって、その中にぼうみたいなほねが入ってないとだめだったけど、入っていなかったそうです。
そこでもう一人のおいしゃさんが来て、手を左の方こうにまげてなおしてくれました。ポキッとなりました。その後は少しいたかったけどまげれました。いっしゅんでなおってすごかったです。その先生に
「八さいでなった子をはじめて見たよ。」
「いっしょに学会ではっぴょうしに行こうか」
と言われました。そんなことを言われてけっこういやでした。ぼくはいたかったんだよと思いました。でもすぐになおってうれしかったです。びょういんの先生はすごいけど、ぼくがなるのはいやです。なぜならぼくにはぜったいなおせないと思うからです。
銅メダル
学しゅうはっぴょう会
酒井 仁弥 三室小学校
学しゅうはっぴょう会
三むろ小学校 二年 さかい じんや
学しゅうはっぴょう会がありました。一・二年生は、ちいきで見つけたおたからをはっぴょうしました。ぼくは、三角公園チームになりました。とうまくんとひろきくんといっしょにやりました。バッタやトンボ、コオロギをたくさんつかまえたことをげきにしました。すべり台などのゆうぐであそぶまねも、しました。
れんしゅうでは、とうまくんとシーソーのタイミングを合わせるのが、むずかしかったです。かつ山えきチームの出番のときは、バスをはこぶやくをしました。おくれずにはこべたので、先生が、
「言われなくてもちゃんとつぎのじゅんびができたね。」
と、ほめてくれました。でも、トラックが出てくるところは、あるくのがはやすぎてちゅういされたので、なんかいもれんしゅうをしました。
はっぴょう会の日になりました。ぼくは、ドキドキしました。トラックやくのすずさん、とうまくんとタイミングが合うかしんぱいでした。はっぴょうがはじまって、ダンゴムシはゆっくりうごかないといけないのに、ちょっとはやくあるいてしまいました。バスのじゅんびはできました。三角公園のげきではシーソーのまねがじょうずにできました。
はっぴょうがおわって、お母さんに聞いたら、
「声がちょっと聞こえなかったから、もう少し大きな声を出してね。」
と言われました。ぼくは、しょんぼりしました。本番は、きんちょうして、いつもより声が出なかったからです。五・六年生は、大きな声で分かりやすくはっぴょうしていたので、すごいなと思いました。ぼくも見ならって、六年生をおくる会では、大きな声ではっぴょうしたいです。

小学生 3年生

金メダル
しん切+ありがとう=え顔
吉田 結菜 高椋小学校
しん切+ありがとう=笑顔
高椋小学校 三年 よし田 ゆいな
わたしのおばあちゃんは、いつもやさしくしてくれます。帰りの、スクールバスが着くころに、わたしを待っていてくれます。
「おーかえりなさい。」
と、歌うように言ってくれます。すると、わたしは、安心できてうれしくなります。
電車にのったときに、すわれるせきがありませんでした。そうしたら、大人の人が、
「ここどうぞ。」
と言って、せきをゆずってくれました。立っていてつかれていたので、すわれて、うれしかったです。
わたしは、けっせきした人や、ほけん室でねている人のれんらくちょうを書いてあげたことが何回かあります。書いてあげると、
「ありがとう。助かったよ。」
と言われます。言われると、とても、うれしくなります。
おばあちゃんにやさしくしてもらったときや、せきをゆずってもらったときなど、人に親切にしてもらうと、とてもうれしくなります。そして、自分が人にやさしくしたときも、うれしくなります。それは、どうしてなのかなと思いました。ありがとうと言われたことや、やさしい声、やさしいえ顔が、心をなごませてくれます。だから、ほっとしたり、あったかい気持ちになってうれしくなるのだと思います。キーワードは「え顔」「ありがとう」だと思いました。それがあれば、よりやさしくなったり、笑顔がふえたりすると思います。
思い出すと、おばあちゃんにやさしくしてもらったり、電車でせきをゆずってもらったときに、「ありがとう」を言えていませんでした。いつものことで当たり前になっていたり、はずかしくて言えなかったりしたからです。あのとき、ちゃんと「ありがとう」と言えばよかったなとこうかいします。
わたしの小学校には、「ありがとうの木」があります。直せつつたえられない感しゃの気持ちを手紙でつたえるというものです。それを読むと、こんな親切があるんだなと思います。ふだんのなにげない出来事にありがとうと言っている人もいるんだなと思います。そして、あったかい気持ちになります。
わたしがふだんふつうに生活できているのは、いろいろな人に親切にしてもらっているからなんだと思います。毎日の生活の中に、感しゃの気持ちを持たないといけないことがたくさんあるんだなと思いました。これからは、もっとたくさん「ありがとう」を言いたいです。そして、もっと人に親切にしたいです。
銀メダル
夢をあきらめたら絶対にゆるさない
藤田 知 大安寺小学校
夢をあきらめたら絶対にゆるさない
大安寺小学校 三年 ふじ田 知
「ハイッ。」
道場にひびく声。私は空手を習っています。習い始めて一年半たちました。空手を習っている人は少ないので、「空手習ってるんだすごいね。」と、よく言われます。
私が空手を始めたきっかけは、お姉ちゃんが好きなアニメを見ていたときのことです。女子高生が空手を習っていて、とても強くて何人もの人を助けていました。そこで私もしょう来は、こんなに強い人になりたいと思ったので、空手を始めました。
私は空手を始めて、大きな大会に出たことが二回あります。北信越大会では一勝することができました。そのときに、いとこ、お母さん、お父さん、おばあちゃんまで来てくれたので、より楽しい大会になりました。勝ったときは、たくさん知っている人がいる中で勝つことができて、うれしかったです。
実は、自分でだれにも言っていないひみつがあります。それは試合のとき、自分の番が来るまで、心の中でずっと勝てるようにたくさんの言葉で勝ちをねがっていることです。すると、試合で一勝できました。試合の後は、息が「はぁはぁはぁ。」と出てきました。そのとき思いました。勝つためにきつい練習もがんばり、今までの空手の試合でいちはんがんばったんだと思いました。次もあきらめずにがんばろうと思いましたが、負けてしまい、「ああ、負けてしまった。もう少しだったのに。」と、ずっと心の中で思っていました。
空手は二ポイント取ったら勝ちなのですが、全国大会では一ポイントも取ることができずに負けてしまいました。私以外はみんな黒帯でした。でも、私は空手の大会では、あきらめないと、そのとき決めました。
次の試合があるのはずい分先ですが、まだまだ練習が足りないので、今のうちにかんぺきにできるようにがんばります。
私は「型」で一回も勝ったことがないので、今のうちに立ち方や形をきれいにしていこうと思います。先生も全力で教えてくださるので、私も全力で練習に取り組もうと思います。全国大会では私ともう一人しか白帯がいなかったので、これからも練習をたくさんがんばり、黒帯をとれるようにします。
空手を習い始めてから、思っていたのとちがってやめたいと思うこともありました。しかし、何回も続けていくうちに楽しくなってきて、今でも続けています。
私は大人になるまでの夢に向かう言葉を決めました。それは、「夢をあきらめたら、絶対にゆるさない」です。これは自分へのメッセージです。夢をあきらめないように、空手を続けたいです。そして、大人になったら、やさしくて強くて、人も助けられるような女性になりたいです。まわりの人に、強くてやさしくて何事にも一生けんめいな人だと思われたいです。
銀メダル
お父さんは日本一
髙橋 永峰 大安寺小学校
お父さんは日本一
大安寺小学校 三年 高橋 えいほう
そう合的な学習の発表会の日。お父さんは法話グランプリに出ていました。法話グランプリは、全国のお寺のおぼうさんの中から、お話の上手な八人がえらばれ、奈良県に集まります。その中にお父さんも入っていました。
法話グランプリの前日、お父さんはきんちょうしていて、はきそう、気持ち悪いと言っていました。だけど、一位をとってきて、とてもすごいなと思いました。一位になったお父さんはとてもよろこんで、ハイテンションになって、少しこわかったけど、とてもそんけいしています。お父さんの法話を聞いて、しんさのお姉さんもないていたそうです。
お父さんがお寺に行くと、お花をいっぱいもらってうれしそうでした。いちばん多いのは白い花でした。トロフィーを真ん中にして、かがやいていました。お父さんにおかしをあげると、だっこをしてくれました。
その日の夜はパーティーをしました。タコスがおいしかったです。あらい物が二十こぐらい出て、お父さんがすごいいきおいで終わらせました。その後、とてもつかれてねていたので、お父さんの毛が生えているところにガムテープをはりました。はがすと、いたくて、おきたのがおもしろかったです。
十一月には、お父さんがかどまつを作りました。これも日本一です。日本一早いかどまつと言われています。竹や南天の実をかざりました。ぼくも大人になったら、いっしょに作りたいです。来年はいっしょに作ります。
ところで、ぼくはうるさいです。お父さんに、
「うるさい。しずかに。」
とよく注意されます。友だちや先生にも言われます。先生は、
「おしゃべりなのは、しょう来おぼうさんになるための練習をしているんですよ。」
と、言ってくれたこともあります。
さらに、ぼくはけがをいっぱいしました。六年生のお姉さんと豆にゅうスープを作っていたとき、なべがひっくり返って、ぼくの手にあついスープがかかって、大やけどをしました。やけどがなおったころに、マラソン大会の練習で足首をねんざしました。ギプスをして、まつ葉づえをついて学校に通いました。そのころ、お父さんは大変でした。お母さんが入院して、料理やせんたくもしないといけないのに、ぼくがねんざをしたからです。
お父さんは毎日休まず働いています。家でもパソコンで仕事をしたり、他の県に行ったリします。ぼくは悲しいです。休みがないからです。ぼくも大人になったら休みがなくて、いそがしくなるのかなあ、ととても不安です。休みがないと、好きなアニメが見れないし、一番くじを引きにも行けません。大好きなおしゃべりもできません。これを見て、横でお父さんがばく笑しています。
ぼくのお父さんは日本一自まんのお父さんで、そんけいしています。お父さんのあとをついで、日本一のおぼうさんになりたいです。
銅メダル
「ゆう気をもらった言葉」
畑 充希 大安寺小学校
「ゆう気をもらった言葉」
大安寺小学校 三年 畑 充希
「じゃあやってみよう。」
と金林先生が言ってくださいました。ドキドキしたけれど、先生に手つだってもらいながら、そっと後ろにたおれました。そんなにう\まくできなかったけれど、回転はできました。十一月二十八日大安寺小学校でう学校との器かい運動交かん会がありました。私は、マットに出ます。私は、前転と後転は入れたいなと思っていました。けれど、私は後転ができませんでした。だから、本番までにできるように練習をしようと決めました。正直、後転をするのはこわかったけれど、お母さんや、お父さんに私のすごい所を見せたかったので、がんばろうと思いました。
「もう少し。もう一回、やってみよう。」
先生の言葉で少しだけゆう気がでました。次にやってみると、さっきよりうまくできました。先生が、
「ひざじゃなくて足のうらをつけるともっとかっこよく見えるよ。」
とアドバイスをくださいました。その言葉で、もっとうまくできるようにがんばるぞと思えてきました。五回目ぐらいになってくると、
「すごい。うまくできるようになってきたね。」
と先生に言われて、
「ありがとうございます。」
とえ顔で答えました。そして、私は明日もがんばろうと思いました。次の日の体育の時間になりました。
「みっちゃん。今日もがんばろう。」
と先生が私に言ってくださいました。私は、
「はい。がんばります。」
と言ってやってみたら、なんとせいこうしました。
「すごい。先生の手だすけなしでもできたじゃん。」
と、先生が言ってくださいました。私は、前転、開きゃく前転、前くつ、水平バランス、そく転、開きゃく後転、後転のじゅんに発表しようと考えて練習しました。
本番の前の日、とつぜん後転ができなくなってしまって、ちょっとあせって、
「後転ができなくなっちゃったんです。」
と、先生にせつ明しました。
「じゃあ、もう一回練習しようか。」
と先生に言われ、三回ぐらい練習すると、またできるようになってきて一安心しました。明日が本番だからぜったいせいこうさせるぞと思いました。
いよいよ本番の日になりました。三番目の私は、大きな声で自分の名前を言ってえんぎを始めました。前転、開きゃく前転、前くつ。そして、たくさん練習した後転です。うまくできました。お母さんやお父さんもはく手をしてくれました。心が明るくなりました。
「よくできてたよ。とてもうまかったね。」
と言ってくれているみたいでうれしかったです。来年もがんばろうと思います。
銅メダル
漢字が好き
堀江 悠斗 大安寺小学校
漢字が好き
大安寺小学校 三年 堀江 悠斗
ぼくは、漢字が好き。ぼくが漢字が好きになったきっかけは二年生のころじどうクラブのことです。漢字のものしりの先生がカードゲームなどがあるたなのところのおくをあさって何やら漢字が書いてあるゲームをとってきました。そのゲームを神けいすいじゃくにして遊んでみました。とても楽しくて、毎日、先生とやりました。ちがう先生ともやりました。それから漢字にきょう味をもつようになりました。それから数か月後、漢字でGOというパソコンのゲームを見つけました。漢字でGOは、レベル一から八まであります。四レベルからあまり見ない漢字が出てきます。ヘルというげきムズのモードには世界が終わるむずかしさと書いてあります。六レベルには𩻩これでなんと読むか分かりますか。マグロと読みます。七レベルは、この「〇」を漢字で「せい」、と読みます。星のことを表す漢字だそうです。八レベルは、「水の一画なくなった漢字」です。水の一画なくなったバージョンです。これで「さ」と読みます。もう意味が分かりませんね。これこそ世界が終わるむずかしさですよね。ぼくは、三年生でヘルモードのちょいギリというモードをクリアできるくらいなんですけれど、すごいことか分からないから、すごかったらうれしいです。ぼくのゆめは、大人になったら漢字の世界があるのか分からないけれど、あったら世界一位の漢字を知っている人になりたいです。ぼくがヘルモードで手こずったのが「曌」です。これは三文字で、「しょう」と読みます。意味はてらすという漢字とだいたい同じ意味です。ほかにぼくはさかなへんが大のとく意だけど、この魚の漢字は知りませんでした。ぼくが好きな魚へんの漢字は「鰐」です。読みかたは「ワニ」です。大とくいのぼくも分からなかった魚へんの漢字があります。それは、「魚辺に翼の漢字」と「魚偏に夏の漢字」です。一つ目の魚へんにつばさという漢字はパソコンで調べても出てこない漢字の一つのツバスです。二つ目は、魚へんに夏で「魚偏に夏の漢字」「ふぐ」と読みます。ぼくが思うむずかしい魚へんは「鮐」と「魚偏に兜の漢字」と「鯱」です。一つ目の魚へんに台は「ふぐ」と読みます。二つ目の魚へんによく分からないのは、これです。「サンショウウオ」と読みます。さい後の魚へんにとらは「しゃち」、むずかしい読み方で「しゃちほこ」と読みます。ぼくが好きな漢字は二つあります。一つは「龍」という漢字と「心」です。理由は龍は「龍を4つある漢字」この龍が四つある漢字で「てつ」と読んで、「龍がしゃべる」という意味です。ぼくは、しゃべるのが大好きだから四つの龍から一つを取ってぼくと龍で楽しくしゃべっている様のような感じだからです。心が好きな理由は、心をきれいに書けるとなぜかうれしいからです。そして「悠」も好きです。ここまで漢字が好きになれたのはあの先生のおかげであの先生に一生感しゃします。

小学生 4年生

金メダル
ゼツボウ日記
村上 紗也香 大安寺小学校
ゼツボウ日記
大安寺小学校 四年 村上 紗也香
「もう七時だよー!?」
と、お母さんに起こされました。リビングから鳴りひびくお母さんの声は二階のしん室まで聞こえます。また今日も「ゼツボウ」しました。登校まであと二十分しかありません。あわてて家を飛び出したら、体そう服を忘れてしまいました。私は毎日ゼツボウしてばかりです。
四年生の初めの四月十六日。宿題で日記が出たので、三度寝してしまってゼツボウしたことを書きました。六月十九日。また日記の宿題でそうじ場所に私一人しかいなくて、全部自分一人でやらなければならないことにゼツボウしたことを書いたら、先生からのコメントで「ひさしぶりの『ゼツボウ』ですね。」と書いてありました。覚えてくれていたんだな、と思いました。
夏休みに入って少したった八月一日に日記を書きました。夏休みの宿題であるはずの絵日記の紙がなくなったことを書きました。五まいとも全部消えていました。なので、お父さんに「絵日記の紙作って。」とおねがいし、コピーした絵日記の紙に書いて、夏休み明けにてい出しました。そこで気付きました。もともと絵日記の紙なんてなかったのです。日記のノートに絵をかく宿題だったようで、ゼツボウしました。家に帰ってそのことを家族に言ったら笑われました。自分ですら笑えました。
十一月四日。五時間目の社会で、先生が、
「明日は校外学習でー」
と話し始めて、冷や汗が出ました。校外学習でおべん当がいることをお母さんに言っていないので、今更言ってもおこられてしまいます。ゼツボウしました。家に帰って持ち物をかくにんしていると、校外学習のしおりがありません。チラシの山を全てあさってみたけれど、見つかりません。またまたゼツボウしました。おばあちゃんの車に乗り、しぶしぶ学校にしおりをもらいに行くことにしました。先生からしおりを受け取って帰りました。
この作文のテーマを決める時、担任の先生に「ゼツボウ」を書いたらと、推されました。そこで日記を読み返していたら、色々な「ゼツボウシリーズ」が出てきて日記の良さが分かりました。その時はゼツボウしていても、今見るとなつかしいです。六月十二日にハチからにげて丸太に足をぶつけた時、お母さんがばんそうこうをくれました。ゼツボウしても良いこともあります。九月二十三日に大量の草をむしるバイトをしました。やる気が失せるくらいのしぶとくて長い草もあってゼツボウしたけれど、両親にも兄たちにもよろこんでもらえるから、やりがいがありました。ためになるゼツボウもあるのでがんばって生きようと思えるようになりました。でも、やっと書き終えたと思ったら、先生に「最後の行まで書いたら。」と言われゼツボウしました。
銀メダル
チクチク言葉、フワフワ言葉とは。
坪川 凛子 高椋小学校
チクチク言葉、フワフワ言葉とは。
高椋小学校 四年 坪川 凛子
わたしは、福祉について、総合の時間で学習をしました。
わたしたちは学習をする前は、「福祉ってなんだろう。」というぎもんがうかんできました。そこでわたしは自分のこと、他人のことについて三年生に発表することにしました。
どうして、自分のこと、他人のことにしようと思った理由は「悪口をなくしたい。」と思ったからです。さいきんの学校は「しね」「カス」など言っている人が多くなっているからです。二こ目の理由は他人の人に友達を多くしてほしいという事です。ケンカが多かったり、悪口を言っている人が多くなっています。それをなくしてチクチク言葉より、フワフワ言葉をふやしてほしいです。
学習や体けんをとおしてわたしは、自分のことをさいしょに考えてみました。けれど自分のことを考えるだけでとてもむずかしかったです。好きな物やきらいな物を考えてみて、一目みただけでわたしは好きな物が多かったです。きらいな物が多い人はきらいな物をこくふくして好きな物を多くしましょう。
三年生に発表する時に悪口を言われたらどんな気持ちになる、と聞いてみると、「かなしい」や「友達をやめたい」と言う人がいました。その言葉を聞くだけでとてもかなしくなりました。ぎゃくにフワフワ言葉を言われると、「うれしい」「友達になりたい」「がんばろう。」という気持ちに自然になっていきます。この世に生まれてこない人もいるし、悪口を言われ続ける人もいます。このことを考えてみると三年生も「悪口ってそんなに心にひびいてしまうんだね。」と言っている人もいました。わたしも学習をしている時は、「かわいそう」「助けてあげたい」という気持ちになってしまいます。そう考えると「高れいの人などこまっている人には助けてあげよう」「福祉って不思議だな」などを思っていました。
これまでの福祉の学習を通して、「悪口をなくすためには、どうすればいいのかな。」と考えました。それで考えたのは、さいしょの行動を気を付けようです。そうしたら悪口はなくせると思ったからです。どうしてかというと、さいしょの行動が悪口につながってしまうのならそれほど悪い行動につながってしまうからです。わたしも悪口を言われたことがあります。その時わたしはないてしまうほどいやな気持ちになりました。言われてしまったという人は先生や家の人に相談しましょう。そうしたら心がスッキリします。ぎゃくに悪口を相手に言ってしまったら、自分の思いは真っ二つに分かれてしまいます。「これでスッキリだ」「あんなやつきらいだから」と考えてしまう人はよくないと思います。反対に「悪口を言ってしまったからあやまろう」や「悪口を言ってしまったら相手が悲しむだろう。」そう思っている人が良いと思います。
銀メダル
みんなへの思いやりの心
鈴木 彩加 高椋小学校
みんなへの思いやりの心
高椋小学校 四年 鈴木 彩加
そうごうの学習の時間に、点字や手話、他者理かいなどの、ふくしの勉強をしました。そして、そこで習った「思いやりの心」や、手話の事などを、グループでまとめて、発表をしました。
発表では、げきと、クイズをしました。げきでは主に、二つの事を伝えました。一つ目は、しょう害をもっているから返事などができないという事があるかもしれないという事です。そして二つ目は、しょう害をもっている人も、しょう害をもっていない人と同じように、かかわってくれたり、こまっている時に、助けてくれると、とてもうれしいという事です。みなさんも、しょう害をもっている人にも、もっていない人にも、こまっていたら、助けてあげたり、やさしくしたりできるといいですね。そしてクイズでは、主に、三つの事をしょうかいしました。一つ目は、しょう害をもっている人とのコミュニケーションのとり方をしょうかいしました。わたしたちのグループでは、耳の聞こえない人についての発表をしました。なので、手話や、筆談の事などを伝えました。手話とは、耳や口が不自由な人のための、音声を使わないで、手の形や体の動きなどで言葉を伝え合う方法です。そして、筆談とは、口で話す代わりに、紙に書いて考えや気持ちを伝え合う事です。この手話や、筆談、他にも指文字などを使う事で、耳の聞こえない人との、コミュニケーションをとる事ができます。二つ目は、いろいろな手話の意味をしょうかいしました。例えば、「ありがとう」の手話の意味を当てるというクイズをしました。他にも、手話マークや筆談マークなど、しょう害にかかわる物のマークの意味を当てるクイズもしました。ヘルプマークをつけている人は、しょう害をもっているからやさしくせっしてあげるようにするという事も伝えました。三つ目は、みんなにやさしくする事です。しょう害をもっている人にもかかわったり、助けてあげられるととても良いですが、しょう害をもっている人だけじゃなく、しょう害をもっていない人にもやさしくせっしたり、助けてあげると良い事を伝えました。
発表では、これらの事を伝えました。この発表を聞いてくれた人たちに、少しでも、しょう害の事を知って、きょうみをもってほしいです。そして、みんなへの思いやりの心をもって、やさしくせっしてあげれるように、したいです。
銅メダル
ふくし体験
小嶋 仁琴 高椋小学校
福祉体験
高椋小学校 四年 小嶋 仁琴
わたしは、総合的な学習で、点字、手話、地者りかい、しょう害者スポーツなど福祉の勉強をしてきました。福祉とは人々の幸せや世の中の幸福を考えることです。
わたしたちは、すべての人が、くらしやすくなるために、いろいろな人たちに伝えたいと思うようになりました。ここでは、わたしが心に残ったことを三つしょうかいします。
一つ目は、耳が聞こえない人のことです。耳が聞こえない人は、だいたいの人が手話をおぼえています。五十音や言葉の手話、数字の手話など一つ一つおぼえるとなると、わたしならつらくてくじけてしまうと思います。そんな手話を一つ一つおぼえていると思うと少しでも耳の聞こえない人のために何か力になれることをしたいと思いました。
二つ目は、目が見えない人のことです。目が見えない人は、前が見えず歩くことすら大変だと思います。なのに、はくじょうを使うだけで、毎日歩いていると思うと点字ブロックに置いてある荷物などは、どかしたいと思いました。
三つ目は、手や足が不自由な人です。手足が不自由な人は、まずトイレ、おふろなども自由には行けません。人の手を借りないと生活できないと思います。でも、世の中には一人でくらしている手足が不自由な人がいると聞いておどろきました。ちゃんと生活できるようにいろいろ工夫をしているのだと思いました。
このような理由からわたしは、いろいろな人に福祉のことについて伝えたいと思いました。
わたしたちは、伝えるための活動として三年生に発表しました。三年生は話をちゃんと聞いてくれました。しかも、たくさんの三年生が聞いてくれました。思いやりの大切さをきっと知ってもらえたと思います。
しょう害をもった人たちは、生まれつきの人、じこなどでしょう害をもってしまった人がいます。わたしは、じょう害をもった人について今までくわしく考えたり、調べたりしたことがありませんでした。わたしのように、しょう害をもった人について知らない人が多くいると思います。だから、しょう害をもった人のことを少しでも知ってもらって、点字ブロックの上の物をどかすことや、しょう害をもった人へのぼ金、未使用の切手やテレホンカードのきふなど、しょう害をもった人の助けになるようなことをしたいです。
わたしは、しょう害をもった人のことを知ってもらうことは、すべての人がくらしやすくなる目標に少しでも近づくことではないかと考えました。そこで、みなさんにもぜひ、しょう害をもった人のことを知ってほしいと思います。
銅メダル
楽しいきょうりゅうはく物館
野村 花音 平章小学校
楽しいきょうりゅうはく物館
平章小学校 四年 野村 花音
わたしは、きょうりゅうはく物館に行って化石を見てびっくりしました。何の化石かというと、きょうりゅうの化石と貝の化石ときょうりゅうの足あとの化石です。
まず、きょうりゅうの化石を見てなぜびっくりしたかというと、いろいろなしゅ類でいろいろな形の化石があって、何回見てもあきなかったからです。ちなみに、わたしは、ティラノサウルスとフクイサウルスの化石が中でもいいなと思いました。理由は、ティラノサウルスの化石はすごくはく力があって大きくてかっこいいと思ったからです。フクイサウルスは、体は小さいし、しっぽは長い所があるからです。大きなきょうりゅうも小さなきょうりゅうもきょう味がもてました。
次に、なぜ貝の化石を見てびっくりしたかというと、貝の化石はサザエやアワビやムール貝などがあって、海にいる貝とはぜんぜんちがったからです。
きょうりゅうの足あとは本物のきょうりゅうが通った時の足あとの化石です。それでやっぱりわたしは、本当に大昔にきょうりゅうがいたんだなあと思ったからです。ほかにはほう石もありました。ほう石はエメラルドやダイヤモンドやアメジストなどがありました。すごくきれいでした。生で見られてうれしかったです。
化石以外では、きょうりゅうがすごく大きくかざられていて、動くように作られて声をあげて「ガオーッ!」とさけんでいて、すごく作るのが上手だなと思いました。そんな時に弟が、
「きょうりゅう本物だ。」
と言うからみんなわらっていました。ほかの人はそのきょうりゅうの方を向いてきょうりゅうの動画をとっていました。すごく大人気だと思いました。すごいと思ったのが、はく物館に本物みたいなきょうりゅうがかざられていて、葉を食べているきょうりゅうや肉しよくきょうりゅうが草しょくきょうりゅうをおそっている所などがかざられていて、作った人はすごいなあと思いました。まるで物語を見ているようでした。
はく物館の中だけでなく、外にはお店がありまいた。きょうりゅうに関係する物がたくさんあって、シールやおみやげやぬいぐるみなどがありました。一番下の弟がすごくきようりゅう好きで、お店では大きな肉しょくきょうりゅうのギガノトサウルスというかっこいいフィギュアを買いました。
はく物館からの帰り道には、絵がかざられていて、いろんなきょうりゅうの絵がかいてありました。道の方へ行くと、テレビがあってきょうりゅうの話をしていました。いろんな人が集まって一生けんめい話を聞いていました。
さいごに外できょうりゅうはく物の思い出に写真を撮りました。また行きたいです。

小学生 5年生

金メダル
大切なお米について
橘 満弥 安居小学校
大切なお米について
安居小学校 五年 橘 満弥
わたしたちの食卓に欠かせないお米。ほとんどの人たちは、毎日のように食べていると思います。わたしも毎日かかさず食べています。その身近なお米のことについて体験したり、調べたりする機会があったので、お米についてくわしく知ることができました。
五月に田んぼに入って、田植えをしました。手植えで苗を植えるのは初めてで思っていた以上に大変でした。まず最初に枠転がしで苗を植える目印をつけ、苗を植えました。一人三列くらい植えたのですが、植えすぎると成長に支障がでて、病気になりやすいと農家の方から聞いていたので気を付けて植えました。
九月に稲刈りをしました。約四ヶ月前は苗の高さは、それほどでもなかったのですが、きれいな緑色でした。でも稲刈りをした時には、大きく成長しており、きれいな黄金色でした。こんなにもちがいがあるのがびっくりで成長していることを実感しました。鎌で稲を刈る作業は思っていたより力が要らず、あまり力がない人でも楽しく出来そうでした。でもその日は気温が高く、長袖長ズボンで稲刈りをしたので大変でした。昔の人たちの苦労が身にしみて分かりました。
十一月、今までわたしたちが作ったお米を地元の行事の安居ころマルシェの「小五屋」で売りました。あいにくの雨で今年は売るのに時間がかかると思っていたけれど、たくさんのお客さんが来てくれて、約十五分で完売しました。自分たちのお米が売れたのがとてもうれしいです。
そしてお米を使った食べ物についても調べてみました。お米を使った食べ物(定番)は「ご飯、赤飯、もち、すし、オムライス、たきこみご飯、わかめご飯」などがあると分かりました。お米を使った調味料では「しょうゆ、みりん、こめす」などがあるそうです。他にもデザートでは「だんご、せんべい、お米のムース、お米のタルト」などがあり、自分が思っていた以上にお米は色々なものに使われているのだと思いました。また、お米を使った食べ物ランキングでは、意外な食べ物が入っていたのでおどろきました。調べてみてお米を使った料理はたくさんあることが分かり、お米は無くてはならない食べ物なんだと感じました。
これらの体験を通して、多くの人の努力と自然の力によってわたしたちの食卓にならんでいることを実感しました。これからはお米一粒一粒を味わって、大切に食べたいと思います。
みなさんは、毎日のように食べているお米についてどのくらい興味をもっていますか?もし田植えや稲刈りを体験する機会があれば、ぜひ参加してみてください。きっとお米を見る目が変わってくるはずです。
わたしは、これからもお米のことをもっと調べ、食べられるありがたみを忘れずにいたいと思います。
銀メダル
自分たちで守れるふるさと
籔内 結理 宮崎小学校
自分たちで守れるふるさと
宮崎小学校 五年 藪内 結理
私が住んでいる宮崎地区は、とても自然が豊かで、絶滅危惧種のコウノトリなどがいます。そんな自然豊かな場所で行っているのは、自然や生き物にやさしい有機栽培です。「田んぼの天使」というお米を作っている井上さんは、有機肥料を使っています。お米の食べ比べをしたとき、田んぼの天使のお米は冷めても、もちもちで美味しく、一般のコシヒカリよりも粒が大きくて、光っていました。私たちはなぜ、田んぼの天使のお米は冷めても美味しいのだろうかと思い、調べることにしました。
最初の体験は、田植え、ビオトープの生き物観察、コウノトリの観察です。田植え体験のときに田んぼの中に入ったら、土がトロトロで足がぬけなくなりました。なかなか土に苗がささらなくて、むずかしかったです。ビオトープの生き物観察では、いろんなめずらしい生き物がたくさんいて、とても驚きました。遠くから見たコウノトリはとても大きく、生き生き生きとしていました。その日は暑い日だったので、冷たくてきれいな山水でタオルをぬらして、首にまいたら気持ちよかったです。豊かな自然のよさをほこらしく思いました。
いろんな体験をして、興味をもったことは、化学肥料と有機肥料のちがいについてです。メリットとデメリットがどちらにもありました。化学肥料は、短期間で育てることができて、大量生産にむいています。でも、環境に悪いえいきょうを与える可能性があります。有機肥料は、手間や時間がかかりますが、環境にとてもやさしい肥料だということを学びました。
次に稲刈り体験と、有機肥料作りをしました。稲刈り体験は、私のクラス全員でやっても、田んぼの半分ぐらいしかできなかったので、とても大変なことだと思いました。肥料作りでは、食べても安心安全な米ぬかと糖蜜で作りました。米ぬかの味はほんのり甘い味がして、糖蜜はしょうゆのような匂いがしました。私は、みんなで米ぬかと糖蜜をもむところが楽しかったです。実際に体験できて、農家さんの苦労や有機肥料のよさを知ることができました。
自分たちが調べたことを多くの人に知ってもらうために、PR活動もしました。初めて会う人に声をかけることはとてもきんちょうしました。でも、自分たちが今までたくさん調べてきたことを知ってもらえて、うれしかったです。
田んぼの天使の活動は、大変なことも多いけど、環境にやさしい取り組みをしていてとても感動しました。この豊かな環境を守るために私たちにできることは、いつでも自然や生き物にやさしく接することだと思います。私は、みんなでこのふるさとの自然をずっと守っていきたいです。
銀メダル
大切なお米
河崎 佳純 安居小学校
大切なお米
安居小学校 五年 河崎 佳純
毎日のように食べているお米。当たり前のように食べていますが、お米を作る大変さを私はあまり知らずお米を食べていました。しかし、このお米を作るためにはたくさんの人や機械などの手間を田植えや稲刈りの体験で学ぶことができました。そして自分たちで作ったお米は地域の行事で小五屋というお店で売りました。これらの体験から私はお米の大切さを改めて知ることができました。
五月、田んぼに入って田植えをしました。土が自分の足を引っ張ってくるような感覚で歩くのがむずかしかったです。時間をかけて苗を植えましたが、終わった後、上から田んぼを見ると、ガタガタになっていました。苗を植える作業は思った以上に疲れ、昔の人の大変さが身にしみて分かりました。
九月、稲を刈りました。五月に植えた苗が背の高い稲になっており、稲の先っぽには、もみがたくさんついていました。私は、「四ヶ月でこんなに育つんだ」と思いました。稲を刈る作業はとても簡単だったけれどずっと稲を刈っているとうでがいたくなりました。半分ぐらいは私達で刈って、残りはコンバインで収穫しました。機械がないと、とても時間がかかることを知りました。また農家さんは田植えや稲刈りを少人数でやっているのはすごい事だと実感しました。
さらに、お米のことについても調べてみました。調べてみると、福井県ではいちほまれコシヒカリ、ピカツンタ、華越前などが主なお米だと分かりました。「いちほまれ」と、「コシヒカリ」の名前の由来も調べてみました。いちほまれは、「日本一おいしいほまれ高きお米」という意味がこめられ、コシヒカリは、「越の国に光輝く品種になるように」という意味があるそうです。「いちほまれ」のお米の特ちょうは絹のようなつや、口に広がる優しい甘さです。また、コシヒカリの特ちょうは、ねばり、甘み、旨み、香りのバランスがよく、たき上がりが美しいことです。お米にはたくさんの特ちょうがあり、どのお米も個性があり、面白いなと思いました。
十一月、小五屋では、一袋二キロ、八百円で売りました。スーパーにあるお米の半分ぐらいの値段で販売したことで十五分で五十四袋売れました。私はレジ係をしましたが、売り子との話がうまく合わず混乱してしまいましたが、完売できてよかったです。私はお米を売ってみてレジや宣伝はとても大切な役割だと、感じました。
これらの体験からお米はたくさんの人の努力からできた、食べ物だということを実感しました。これからの生活ではお米の大切さを感じておいしく食べたいと思います。そして、この先もずっと食事にある事を願います。田植えや稲刈りの体験をする機会があればぜひしてほしいと思うとともにこの経験で学んだことをこれからの生活に生かしていきたいです。
銅メダル
わたしたちがふだん食べているお米
小山 真唯 安居小学校
わたしたちがふだん食べているお米
安居小学校 五年 小山 まい
わたしたちがふだん食べているお米。毎日のように食べているけど最近はすごくお米の値段が高くなってしまっている。どうしてそんなに高くなってしまったのか、またどのようにお米が作られるのか、その大変さを知りたくなりました。そんな中、今年の春と秋に田植えと稲刈りの体験をしてそれからの疑問について考えることができました。
五月上旬に田植えをしました。長ぐつではなく、くつ下で田んぼに入ったから少し気持ち悪かったです。田んぼに入ってまずは枠転がしをしました。枠で均一にマス目をつけてその角に苗を植えました。目印があるので、植えやすかったです。田んぼの全体の半分は私たちで植え、残りの半分はコンバインで植えました。昔の人はコンバインなしで田植えをしていたのかと思うと、昔の人はすごいなと改めて感じました。
そして九月、いよいよ稲刈りです。長い黄色の稲がたくさん実っていました。最近は稲をかまで刈るのは簡単だろうと思っていたけれど実際に稲を刈ったときは想像以上に固かったです。五年生だけで刈るなんて想像がつきませんでした。切った稲をばらばらに置いてしまったので拾うのにも苦労しました。一本一本全部拾わないと稲がもったいないからです。だからみんなで時間をかけて全部拾いました。稲刈りは田植えの時とちがって長ぐつでしました。田植えとちがって土はどろどろではないから土があんまり付かないかと思っていたけど入ってみると思った以上に土がつきました。想像以上につかれたけれど稲刈りの体験はとても貴重でした。この体験で学んだことは昔の人や今の農家の人は、こんなに大変なことをしてくれているのだということを学びました。
さらに総合の学習でのお米と値段についても調べてみたら福井のお米が四品種しかないので驚きました。福井で有名なお米は「コシヒカリ」、「いちほまれ」でした。さらに「いちほまれ」は最近作られた品種だったそうです。もっと昔からあるものだと思っていました。また市場のお米は五キロで五千円もして思っていた以上に高いことを、調べて、初めて知りました。
田植え、稲刈り、調べ学習を通してお米は育てるのもすごく時間がかかり、刈るのも手間がかかるから、これからはご飯を一粒一粒大切に食べたいです。わたしは福井のお米で「コシヒカリ」、「いちほまれ」しか食べたことがないので「華越前」、「ピカツンタ」も一回は食べてみたいです。
みなさんもお米の大切さを考えたり福井のお米も食べたりしてみてください。また田植えや稲刈りをする機会があればぜひ体験してみてください。お米を食べるのが楽しくなると思います。
わたしは福井のお米だけではなくほかの県のお米も調べてみたいです。みなさんもお米を残さず大切に食べてください。

小学生 6年生

金メダル
修学旅行での成長
太田 花 成器南小学校
修学旅行での成長
成器南小学校 六年 太田 花
私は修学旅行でいろいろなことを経験し、いろいろなことを考え、学びました。
一つ目は外国の方と交流した清水寺でのことです。私は、清水寺で外国人のお姉さんに
「ハロー。」
と声をかけてみたのです。お姉さんはとてもうれしそうに、
「ハロー。」
と返してくれました。そして、軽く自己紹介もしてくれました。私はその自己紹介の中でオーストラリアから来たということを聞き取ることができました。最近、英語の授業でスーパーのチラシを見ながら、外国産の食べ物を英語で発表しました。そのおかげで、私は英語を聞き取ることができ、外国の方と話す楽しさを知り、英語に少し興味がわきました。勝山では、なかなかこんな体験ができないので、修学旅行での出来事がとてもうれしかったです。これからも英語の授業をがんばり、中学校での本格的な英語も更にがんばりたいと思いました。
清水寺の次は大阪万博へ。そして、オーストラリアパビリオンに行きました。私は清水寺で出会った外国人がオーストラリアから来ていたことを思い出し、万博に着いた時から、オーストラリアにはどんな文化があるのだろうとわくわくしていました。実際にパビリオンに入ってみると、コアラがいたり、池があったり、においまで再現されていて、私はオーストラリアにいるような感じがしました。他には、海の生き物の映像を見ることもできました。その美しさにとても感動し、気づけばスクリーンから目がはなせなくなっていました。この貴重な体験は、大人になって日本でまた万博が開催されたら誰かに話してあげたいなと思いました。
二つ目は友達についてです。ホテルでは子ども達だけでおふろに入ったり、ご飯を食べに下の階に下りたり、寝たりしました。夜には花火が上がり、海遊館の周りをみんなで散歩したことも全部楽しかったです。いつもいるはずの家族がいなくても、班の四人で一泊できたことはすごいなと思いました。これまでの成長の証だなと思いました。そして、友達と過ごす時間はやっぱり楽しいなと気づきました。これからも友達を大切にしたいです。
私は、この修学旅行で、人との交流の楽しさや、たくさんの人が私を支えてくれていたことに気づかされました。バスの運転手さんが私達を乗せて安全に運転してくれたことや、先生達が時間をかけて行き先を考えてくれたこと、いろいろな人のおかげで楽しい修学旅行になったのだなと思いました。清水寺で出会ったオーストラリアのお姉さんのおかげで外国に興味がわいたこと、会話の楽しさに気づけたこともうれしかったです。修学旅行は、私にとって成長できた場であり、友達と過ごした大切な二日間となりました。
銀メダル
夢にむかうために
藤田 祐香 大安寺小学校
夢にむかうために
大安寺小学校 六年 藤田 祐香
「夢を追い求める勇気があれば、すべての夢は叶う」これは、「ミッキーマウス」を生み出し、「ディズニーランド」を作ったウォルト・ディズニーさんの言葉です。この言葉はウォルト・ディズニーさんの伝記の中にありました。私がこの言葉を選んだのは、この言葉に出会ったとき、「夢を全力で叶えたい」 と思ったからです。
私は将来、指令管制員という職業につきたいと考えています。この言葉に出会う前は、 私は、「指令管制員になりたい」という言葉 だけしか言わず夢をかなえるための努力をあ まりしていませんでした。しかし、「夢を追い求める勇気があれば、すべての夢は叶う」 という言葉に出合ったときに初めて指令管制員という夢を全力で叶えたいと思いました。 指令管制員という仕事は、一一九番に通報を受けて、火災や救急などの状況を判断し、消防隊や救急隊の出動を指令する仕事です。救急、消防の緊急通報を受ける際、日本国内にいる外国人からの通報に対応する必要があるので、英語が話せるようにならなければならないことを知りました。私は英語を小学三年生のころから習っていますが、復習や予習を手で数えられるほどしかしたことがありません。しかし、この言葉をきいた自分は、英語も話せるようになりたいので、最近は、自分で単語帳を買い、そこにたくさんの単語とその意味を書いています。これを何度もくり返して、英語が少しでも話せるようにがんばりたいと思います。私は、習っている英語教室にあこがれている同じ学年の男の子がいます。かれは、英文を読んだり、書いたり、私よりも英語がとても上手です。私は、英語が話せるようになるためには、たくさんの練習が必要だと思います。だから、かれは、家でも復習や予習をしっかりとして、もっと英語を練習したりしているんだろうなといつも思います。また、かれは、先生とも英語でたくさん話したりしていることがとてもかっこいいなと思いました。私もかれのようになりたいなと思いました。私は母や父に「将来、指令管制員になりたい」と話したことがあります。母も父も「その夢すてきだね。応えんするよ」と言ってくれました。私は、母と父の言葉をきいて、指令管制員になりたいと思う気持ちがより大きくなると同時に英語も話せるようになりたいと思う気持ちも大きくなっていきました。だから私は、今から英語を今までよりもたくさん練習しようと思います。
私もかれのように努力を積み重ねて英語が話せるようになったり、自分の夢である指令管制員という仕事につけるようにがんばりた いです。「夢を追い求める勇気があれば、すべての夢は叶う」この言葉を、私の人生の中 で大切にしていきたいです。
<参考>best-shiningaku.net
銀メダル
新しい自分を見つけるために
髙橋 芭月 大安寺小学校
新しい自分を見つけるために
大安寺小学校 六年 高橋 芭月
「そんなにうじうじ悩んでるのも体に悪いよ。」これは「ちびまる子」のまるちゃんの言葉です。アニメの中でまるちゃんが言っていたセリフにありました。私がこの言葉を選んだのは、何でも悩んでしまうくせをどうにかしたいと思ったからです。
私は一つ一つのことについて、どうしても 深く考えてしまうくせがあります。学校で友だちに、少しいやなことを言われ、私は落ちこんだことがありました。「私があの時、言い返せばよかったのかな。」とか「おこればよかったのかな。」など色々なことを考え、不安になってしまいました。でも言い返せば、相手がいやな気持ちになってしまいます。私はそのことで毎日毎日、悩んでいるせいで、つらくなっていきました。相手にきらわれていないだろうか、失敗しないだろうか、自分だけうまくいってないのではないか、と色々なことで自分を追いつめてしまいました。
そのとき、ふとテレビを見ると、まるちゃ んの友達が何かを気にしている様子を見て、「そんなにうじうじ悩んでるのも体に悪いよ。」と声をかけ、その友達はそれからあまり悩まず、物事を気にしないようになりました。まるちゃんらしくて、少しのんきですが納得してしまうその言葉は、私を元気づけたり、前向きにしてくれたりしてくれ、「確かに相手はぜんぜん気にしていないかもしれない、もう終わったことで今考えてもどうにもならない。」と少し軽い気持ちへと変えることができました。
私のクラスの中にもまるちゃんのように、ポジティブに考え、調子のいいところもあるけど、何事もあまり気にせず、性格が優しい子がいます。きっとその子は私と違って、少しいやなことを言われても、気にせずにいられるのでしょう。それかもしかしたら、自分の中でいやな気持ちを、整理しているのかもしれません。そんな友達を見ていると、私はその子のようになりたいと思いました。
私はこれからの中学校生活を送るにあたって、まるちゃんの「そんなにうじうじ悩んでいても体に悪いよ。」という言葉を意識していきたいです。
銅メダル
前の自分にさよなら
中川 璃杏 大安寺小学校
前の自分にさよなら
大安寺小学校 六年 中川 璃杏
「遠きに行くは必ず邇きよりす」これは、 「ハイキュー‼」に出てくる武田一鉄先生の言葉です。私がこの言葉を選んだのは、コツコツ練習をしていない自分をどうにかしたいと思ったからです。
私は運動がとても苦手です。体育の時間になるとゆううつな気分になります。十月の体育は、私が一番苦手とする器械運動なのです。 週二回ある体育がとてもつらく感じていまし た。私が発表する器械運動は、とび箱です。 マット、鉄棒、とび箱の中で一番苦手なものです。器械運動交歓会の練習で私ができない技である、五段の開きゃくとびをやろうとしました。私は五段よりも下の四段すらもできないのに、五段から始めようとしていたのです。何度も練習をしましたができませんでした。クラスメイトの友達も五段がとべなくその友達は先生と低い段から練習を始めていました。私は五段ばかりを練習していてできないと思っていた時、低い段から練習していた友達の方が先に五段をとんでいました。一度五段がとべたその友達はそのまま先生の助けがなくても一人でとべるようになっていました。それを見て私だけできないと思って落ちこんでいた時に「遠きに行くは必ず邇きよりす」という言葉に出会いました。その言葉を聞いた時に、さっきの友達のことを思い出しました。そういえば、その子は低い段から先生とコツコツ練習をしていたのです。私が五段をとぶことができなかったのは、低い段から練習をしていこうと思わなかったからだと気づきました。低い段から地道に練習を始めようと思わずにただ、その友達をうらやましく思っていただけの自分が、はずかしくなりました。
私も、その友達や「ハイキュー‼」のキャラクターのように目標のためには自分ができることから始めたり、色んな人からアドバイスをもらったりしようと思いました。「遠きに行くは必ず邇きよりす」この言葉を、中学校に行っても大事にしていきたいです。
銅メダル
やる気のない自分を変えたい
堀江 俊斗 大安寺小学校
やる気のない自分を変えたい
大安寺小学校 六年 堀江 俊斗
「小さい事を積み重ねるのがとんでもないところへ行くただ一つの道」これは、元プロ野球選手のイチローさんの言葉です。この言葉を選んだ理由は練習をさぼったりやる気のでない自分をどうにかしたいと思ったからです。
一年前の全国大会で一度負けた相手にあたり大差で負けた経験から、もっと練習していればよかったという後悔がありました。以前は、自分のなかでは練習をたくさんしたつもりだったけれど、たたかってみるとチーム力も一人一人の実力も負けていて負けた時は、とてもくやしい気持ちでした。
以前は苦手な練習のノックやベースランなどをせずに、ずっとピッチング練習をしていました。かんとくにノックに入れ、と言われてもぼくはノックをうけませんでした。でも同じチームメイトはいやな練習も好きな練習も関係なくこだわらず練習にはげんでいました。昔はノックをなんの意味でやっているかもわからずに、ノックでエラーをしたりして、とてもうんざりとした気持ちでボールをおいかけていました。次の日の試合では外野で工ラーをしたり、ヒットを打ち、るいには出たけれどランナーで判断ミスをしてしまいました。試合は負けてしまい、チームにとても迷わくをかけてしまいました。そしてぼくは、試合ではエラーをしてしまうし、ピッチングでは打たれたりしたのでもうソフトボールがいやになってしまい一度はもうやめたいと思っていました。そのときはソフトを二週間ぐらい休み、家で自主練もせずにゲームをしたりしていました。
その時ユーチューブからイチロー選手の、小さい事を積み重ねるのがとんでもないところへ行くただ一つの道」という言葉が聞こえた時、はっとしました。そして、自分は「努力しないと人は上手くなれないんだ。最初から上手にできるわけないんだ」と思いました。さらにぼくは、どんなに小さなことでも努力しようときめました。そして努力した結果全国大会で負けた相手にホームランを打ったことで四対五で勝つことができました。
この経験を通して、小さいことを積み重ねる大切さを学びました。ソフトボールだけでなく、勉強や日々の生活の中でも実践していこうと思います。

中学校 1年生

金メダル
僕にとっての科学
福田 将大 北陸中学校
僕にとっての科学
北陸中学校 一年 福田 将大
僕が科学に強い興味を持つようになったきっかけは、リチウムイオン電池の存在を知ったことだった。もともと車が好きで、電気自動車について調べているうちに、リチウムイオン電池の解体作業に関心を持つようになった。リチウムイオン電池は強い衝撃で爆発する危険があり、リサイクルがとても難しい。そのため、僕は将来、この電池を安全かつ実用的にリサイクルする方法を見つける仕事に就きたいと考えるようになった。
しかし、二〇二五年には冷却によって電池を無力化して分解し、ニッケルやコバルトなどの金属資源を回収する方法や、真空加熱炉を使って有機物質や爆発の危険を処理し、貴金属を取り出して再利用するリサイクルプロセスが開発されたというニュースを知った。自分が目指していた分野がすでに進歩していることに、うれしさと同時に少し寂しさも感じた。けれど同時に、「科学は常に進歩し続けるものだ」という事実を実感し、自分もその流れの中で新しい可能性を探したいと思うようになった。
そんな時、福井サイエンスフェスタで、リチウムイオン電池の開発を成功させたノーベル化学賞受賞者・吉野彰氏の講演を聞く機会に恵まれた。講演では、開発の裏にある数々の苦労が語られた。一つの課題を解決しても新たな課題が生まれ、その繰り返しの中で十年以上もの年月がかかったという。特に爆発の危険がある電池をいかに安全に使えるようにするかという大きな課題には、長い時間と努力が必要だったそうだ。吉野氏の話を聞き、僕は「自分はこんなに長い期間一つのことに向き合い続けられるだろうか」と考えた。しかし同時に、「やってみる前から諦めるのではなく、まずは挑戦してみよう」という気持ちが強くなった。
そう思いつつ、僕は福井大学のステラプログラムに参加した。このプログラムでは、県内の最先端施設の見学や、興味のある分野の実験・講義を受けることができる。僕は二十近くの講座に参加し、その一つ一つで研究者たちのものづくりへの情熱を感じた。例えば日華化学でのシャンプー作りでは、成分ごとの役割を学び、現場の方の話を聞く中で、「使う人達のことを第一に考えて作ること」が何より大切だと知った。また、商品が完成するまでに長い時間がかかることも実感した。人工知能の講義では、AIに学習させるためには、一つ一つの事象を何度も記憶させる必要があり、高性能なAIを作るには膨大な時間と地道な作業が欠かせないことを学んだ。
これらの体験を通して、僕は「科学の成果は地道な作業の積み重ねによって生まれる」という共通点に気づいた。シャンプー作りでも人工知能でも、そしてリチウムイオン電池の開発でも、すぐに答えにたどりつけるわけではない。日々の試行錯誤と忍耐があってこそ、初めて成果が生まれるのだと思う。
学校の理科の授業でも化学の気体の発生を学ぶ中で、ものづくりには安全性への配慮が欠かせないことを知った。有毒な気体が発生しないかどうかを確かめることも、科学の大きな役割だと感じている。授業で学ぶ知識が、実際の研究や開発の現場でどのように生かされているのかを考えると、科学がより身近に感じられるようになった。
僕にとっての科学は、日々の積み重ねの中で楽しさに気づいていくものだと思う。長い年月をかけて苦労した先に成功があり、その瞬間に科学の本当の面白さが見えてくる。リチウムイオン電池のリサイクル方法にも、まだまだ新しい可能性があるはずだ。将来、僕自身の「科学」をさらに広げ、誰かの役に立つ新しい技術を生み出せるような研究者になりたい。
銀メダル
「巫女として見つめた新年」
髙橋 玖果 北陸中学校
「巫女として見つめた新年」
北陸中学校 一年 髙橋 玖果
私は、小学四年生の頃から木田神社で巫女として浦安の舞を奉納しています。私と浦安の舞との出会いは、四年前小学校でもらった一枚の募集の紙からでした。この一枚から、私の世界が広がりました。
巫女では巫女舞を習得し、神事で披露したり、伊勢神宮に奉納するお米の田植え式や稲刈り式で宮司の手伝いをしています。巫女では、現在小学四年生から高校一年生までが神事をお手伝いしています。
特に大きな神社のイベントといえば、お正月の初詣です。お正月には神社に大勢の方が参拝されます。おみくじを引いたりお守りを選んだりする参拝者の方々の楽しそうな姿を見ていると、私も自分のことのように自然と嬉しい気持ちになります。
白い吐息、絶え間なく響く砂利を踏む音、そして時折聞こえる「おめでとう」という晴れやかな声、それらが混ざり合い、お正月特有の幸福な喧騒を作り出しています。巫女の役割は、神様と参拝者とのご縁を繋ぐお手伝いをすることです。お守りや破魔矢を述める方々を見ている時、その瞳には新しい年への希望や、家族の健康を願う切実な祈りが宿っているのがわかります。
一方で、巫女の日常は決して楽しいことばかりではありません。冬の厳しい寒さの中での長時間の奉仕や、正月の繁忙期の目の回るような忙しさなど、体力が試される場面が多くあります。しかし、どれほど身体が疲れていても、黄金色に輝く夕陽が差し込む様を見、美しく響き渡る神楽鈴の音色を聴く瞬間に、形容しがたい充足感に包まれます。特に私が心がけていることは、皆様の前で今年一年の幸福を願いながら巫女の舞(浦安の舞)を披露することです。
毎年、とても寒い中、朝早く起きて巫女の着付けをします。ずっと頑張って練習をしてきた巫女舞を皆様に披露できることは喜びです。浦安の舞を舞うとき、私は自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚を覚えます。巫女舞は誰かに見せるための「パフォーマンス」ではなく、神様を和ませ、神様に捧げる「奉納」です。指先から視線のひとつひとつまで、自我を捨てて型に徹します。そうして無心になった瞬間、自分という存在が大きな時の流れの中に組み込まれ、千年以上の古くから続く伝統の鎖の一環になります。この「自分という個を消し、全体に奉仕する」という感覚は、自己表現が尊ばれる現代において、非常に稀有で貴い体験であると感じています。
氏子会館で舞を奉納する際に見下ろす景色は、色とりどりのコートやダウンジャケットに彩られ、まるでお花が咲いたような賑わいです。おみくじを真剣に読みふける若者、お賽銭箱の前で深く頭を下げる家族連れ、慣れない手つきで絵馬を掛けるお子さん。その一人ひとつの願いがあふれる場所で、巫女として生きる日々は特別です。目の前の空間を清め、訪れる人々の心に寄り添い、変わらぬ祈りを捧げ続ける。その積み重ねこそが、私の歩むべき道なのだと思います。神様と皆様の橋渡しをするという巫女の役目を今一度噛み締め、「今年も良い年となりますように」と願います。
来年のお正月もとても楽しみに、皆様をお待ちしております。令和八年が、皆様にとって光り輝く一年となることを心から祈願しております。皆様の願いが神様に届き、令和八年が笑顔あふれる一年となりますように。
銀メダル
夢を希望にのせて
田邉 由芽 北陸中学校
夢を希望にのせて
北陸中学校 一年 田邉 由芽
「一年経つの早いなー」。もうすぐ三学期。慣れない学校生活もあっという間に体に馴染んだ。そして、目の前には、去年よりも広い世界や大きな夢が立ち向かっている。
「卒業おめでとう」。「また会おうね」。友人と涙のお別れの時。外では、桜の花びらがひらひらと物悲しく散っていた。もうすぐ、憧れの中学生。母校を恋しく思いながら、少し大人になったような嬉しい気持ちに包まれた。一方で、通学の際、電車に一時間揺られていないといけないことは心配だった。福井市は、親元を離れたくない、まだまだ未熟だった私にとって、大都市に思えた。ましてや、自分の地元や福井、日本が小さな枠の中にあることを感じてはいなかった。
「入学おめでとう」。入学式当日。私は今日から生徒だ。緊張しつつ、胸が高鳴る、不思議な気持ちにおおわれながら、見知らぬ同級生に出会い、新しい物語の始まりにときめいていた。それと同時に、明日からの電車通学にドキドキしていた。
「いってきまーす」。身が引き締まる朝。ピカピカのまだ少し背の高い自転車に乗り、ペダルを踏む。爽やかだが、少し心細い風を浴び、駅に着いた。「カーンカーンカーン」。慣れない電車音が鳴り響く。「おはよう」。まだぎこちない友人関係。高い高層ビルや見知らぬ人が次々と目に入る。私は今、大都会に来たと改めて実感したのだった。
「明日遊ぼー‼」。あれから桜の花びらが散るように時が過ぎ、半年が経った。電車に乗って自分一人で遠く離れた友達の家まで遊びに行くことも出来るようになった。これは、私にとって大きな自信となった。そして、その自信を武器に、どこへでも一人で行けると感じた。自分の地元以外でも仲の良い友達がいるっていいなとも思えるようになった。
「いってきまーす」。あっという間に季節は冬。ジャンバーをして、手袋をして外に出る。慣れた足取りで電車に乗り、友達と喋り、街並みを通り、学校に着く。電車内では、勉強したり、時には寝てしまうことだってあり、あの、不安で埋め尽くされていた一時間が、あっという間に感じるようになった。
前までは、小さな枠(地元)の外に飛び出すと、危ないことだらけだと思い込んでいた。しかし、電車通学をするようになってからは、枠の中にいるのがつまらないとまで感じるようになった。枠を飛び越えるからこそ、たくさんの発見を得たり、いろんな仲間に出会えることを知った。
そういえば、以前「井の中の蛙は大海を知らず」ということわざを耳にしたことがある。調べてみると、まさに一人で地元から飛び出したことのない私のようだった。今となっては、井の中から飛び出してみないと分からないことはたくさんあるのに、飛び出さないなんてもったいないと強く実感している。
もし、飛行機に乗って景色を俯瞰したら、福井市も井の中だと感じるだろう。もっと視野を広げて、月から地球を見たら、日本も井の中だと感じるだろう。それに気づいた私は、電車通学で身につけた自立心、行動力、好奇心、自信を希望に変えて世界へ飛び出し、活躍できる人になりたいと決意した。
社会科の授業で、貧困地域について学習した。中でも、児童労働が起きている所があり、生きることに精一杯で夢を持てない、実現できない子供たちがたくさんいる現状に、とても衝撃を受けた。そして何より、私と同世代の子やもっと年下の子までもが働かざるを得ないことを決して他人事とは思えなかった。
だから今年の夏、私は福井を飛び出し、フィリピンへ二週間の語学留学を決めた。フィリピンの貧困地域でボランティア活動を行い、SDGsについて学び、自分の夢に近づきたい。私は、夢を希望にのせて、枠の外に一歩を踏み出す。
銅メダル
ちいさないのち
井上 姫華梨 北陸中学校
ちいさないのち
北陸中学校 一年 井上 姫華梨
私が十歳のころ、母のお腹の中に命が宿った。まだ小学生だった私にとって、「家族が増える」という出来事は、うれしさと同時に少し現実味のないものだった。弟か妹かも分からないその存在は、まだ会ったこともないのに、私の毎日の中で大きな存在になっていった。
母のお腹が少しずつ大きくなるにつれて、本当に赤ちゃんがいるんだ、と実感するようになった。夜になると、母のお腹に手を当てて、今、何しているのかな、ちゃんと元気かなと想像することが増えた。赤ちゃんが生まれたら一緒に何をして遊ぼうか、絵本を読んであげたいな、公園で手をつないで歩きたいな、そんな楽しい想像が止まらなかった。
同時に、性別はどっちだろうという話題も家族の中でよく出た。もし男の子だったら、一緒にボール遊びができるかもしれないし、女の子だったら、かわいい服を選んであげたい。どちらでもうれしいはずなのに、考えれば考えるほど気になって、早く知りたい気持ちが強くなっていった。名前の話をする時間も、私にとっては特別だった。どんな名前がいいのか、呼びやすい名前がいいのか、それとも意味を大切にした方がいいのか。私は自分なりに考えて、いくつか候補を出してみた。家族で真剣に話し合うその時間が、「もうすぐ家族が増えるんだ」という喜びを、はっきりと感じさせてくれた。
しかし、楽しい気持ちばかりではなかった。赤ちゃんが生まれたら、今までの生活はどう変わるのだろう、両親は赤ちゃんにつきっきりになってしまうのではないか、私はちゃんとお姉ちゃんとしてやっていけるのだろうか、そんな不安も心の中にあった。十歳だった私には、その変化が少し怖く感じられたのだと思う。
そしてついに性別が分かった日、赤ちゃんは男の子だと知らされた。弟ができると分かった瞬間、胸の中が一気に温かくなった。弟という存在が、はっきりと形になった気がした。その日から、「弟」という言葉を使うたびに、少し大人になったような気分になった。
赤ちゃんが生まれた日、私は学校から帰ると、家の中がいつもと違う空気に包まれているのに気づいた。母から「赤ちゃんが生まれたよ」と連絡があり、病院に行く準備をしていた。私はとてもドキドキして、すぐに弟に会えると思うと、胸がいっぱいになった。病院で初めて弟に会ったとき、私はその小ささに驚いた。お腹の中にいたときとはまったく違う、現実の存在としての弟を目の前にして、私はその瞬間、とても大きな責任を感じた。初めて抱っこしたとき、私の腕の中にいる小さな弟を見て、「こんなに小さいんだ」と驚きながらも、自然と守ってあげたいと思う気持ちが湧いてきた。今まで弟が生まれると聞いてワクワクしていたけれど、いざ目の前にすると、その可愛さと無垢さに圧倒されて、ただただその小さな命を大事に思う気持ちが強くなった。
それからの日々は、私にとって本当に新しい経験ばかりだった。赤ちゃんのお世話は最初こそ戸惑うことが多かったけれど、母や父が教えてくれることを一生懸命に覚えた。そして、弟が少しずつ成長していく様子を見るたびに、私はお姉ちゃんとしての自覚を持つようになった。
弟が生まれる前の不安や、家族が増えることへの恐れも、今では全ていい思い出だ。弟と一緒にいると、何気ない日常がとても特別に感じられる。これからも、弟の成長を見守りながら、一緒に楽しい時間を過ごしていきたい。そして、弟にとって、私が素敵な姉でいられるように、もっともっと成長していきたいと思う。
銅メダル
ポジティブな自分に
前川 梁成 勝山北部中学校
ポジティブな自分に
勝山北部中学校 一年 前川 梁成
「どうせ、そんなに楽しくないだろ。」
僕がこの一年で心に残っていることは宿泊体験学習という学校行事だ。十月の終わりにぼくたち北部中学校の一年生は二年後に新しくつくられる勝山中学校に向けて南部中学校と中部中学校の三中で奥越高原青少年自然の家に宿泊体験学習にいった。宿泊体験当日、「どうせ、そんなに楽しくないだろ」と思いながらバスに乗った。
奥越高原青少年自然の家で過ごす二日間はとても短く感じられた。その二日間で僕が特に心に残ったことは三つある。
一つ目の心に残ったことは宿泊体験一日目に行った、カレー作りだ。カレー作りは山奥の炊さん場でしたためいつもと比べものにならないぐらい寒かった。今まで何度も母に、「料理やってみなよ」と言われたことがあるが、めんどくさそうでやったこともなかった。「料理ぐらい簡単だろ」と思っていたが、いざやってみると野菜ひとつ切るのにも、たくさんの切り方があり、切り方を選ぶのさえ苦労した。「こんなにも料理は難しいのか」と感じ母をみつめなおした。なんとか野菜を切り終え、ご飯を炊き始めやっとカレーを作ることができた。寒さも吹き飛ばすような温かく美味しいカレーが出来上がった。今まで食べたことのないような美味しさと全員で作り終えた達成感も味わうことができた。みんなで作ったからこそより美味しく感じられたのだと僕は思った。
二つ目の心に残ったことは他校の生徒との交流だ。交流では、実行委員の人たちが企画した、奥越の大自然にふれながら、みんなで体を動かせるしクリエーションがたくさんあった。他校の生徒と交流する前は「一日なんかで他校の人と仲良くなれるなんて事あるか」と思っていた。レクリエーションのゲームをしていると、他校の生徒が「名前はー?」と話しかけてくれた。他校の人たちは、みんな親しみやすく優しい人で、あっという間に仲良くなることができた。「きっと二年後の新中学校になったら仲間が増えもっと楽しい学校生活が送れるのだろう」と楽しみな気持ちになった。
三つ目の心に残ったことは、友達と宿泊をしたことだ。今回はいつもと違った場所で宿泊をしたが、公共のルールやマナーを守り、メリハリを付けながら楽しく過ごせた。いつもの自分なら、スマホを見たりゲームをしたりだらしない生活をしているが、ゲームやスマホがなくても友達といろんなことを話したり、星空観察やプラネタリウムなど奥越ならではの自然を楽しんで過ごす時間は、今まで感じたことのない面白さを感じることができた。友達と過ごす時間はとても短いように感じた。
僕はこの宿泊体験学習を通してたくさんのことを学んだ。カレー作りで月、協力する大切さや母の偉大さに気づくことができた。また、宿泊体験や他校の生徒との交流では奥越の大自然にふれ奥越の魅力を見つけることができた。他にもたくさんの驚きや発見があった。僕は、この二日間でとても成長できたと思う。また、すぐに「どうせどうせ」とネガティブな発言をしてしまう自分を直したいと思う。
僕は「楽しかったね」と帰りのバスで話していた。
銅メダル
中学生になって学んだこと
鈴木 詩望 丸岡南中学校
中学生になって学んだこと
丸岡南中学校 一年 鈴木 詩望
私が中学校で学んだことで一番大切だと思うのは、「自分の意見や考えを素直に言葉に表す」ということです。小学生の時は意見を言うのは恥ずかしかったり、思ったことをそのまま口にしても何となく通じたりしていました。でも中学校に入ると授業でも自分の意見を言う話し合いが増えて、ただ「そう思った」だけでは足りない場面が多くなりました。最初のうちは恥ずかしくて慣れていなかったけれど、そのおかげで学ぶこともたくさんありました。
国語の授業では、自分の考えをまとめないといけないのが苦手でした。感想も「嬉しかった」「楽しかった」だけでは相手に伝わりづらいと言うことを教わりました。詳しく書こうとしても、うまく言葉にできずなかなか感想を書けない時もありました。でも、友達の感想を読むと「こういう書き方もあるんだ」と気付けて、真似をしているうちに少しずつ書けるようになりました。理由を考えることで、自分の考えを相手に前よりもはっきり伝えられるようになったと思います。
数学の授業は、ただ答えがあっているだけではダメで、考え方を説明するのも大切だと分かりました。先生に当てられた時、問題は正解していたのに、どうやって解いたかを言葉に表せなくて困ったことがあります。友達に教えてあげたくても「あれ?なんでだっけ?」と自分でも分からなくなってしまったこともありました。でも、ゆっくり整理して話すと、相手に伝わりやすいだけではなく、自分の理解も深くなることが分かりました。前よりもっと数学が楽しく感じられるようになりました。
他にも部活動では、言葉にすることの大切さをとても実感しました。気持ちを言わないままだと、チームみんなで同じ方向には向けなくて、練習の雰囲気も悪くなることがありました。そんな時、思い切って
「ここはこうしたほうがいいと思うよ」
と言ってみたら、他の人も意見を言いやすくなり、前よりもチームがまとまってきた感じがしました。自分の考えや気持ちを言うのは怖いし、間違っていたらどうしようと不安になるけれど、言わないと何も変わらないということを部活でよく学びました。
友達との関係では、ちょっとした言い方で相手を傷つけてしまったことがありました。自分はそんなつもりではなかったのに、相手はすごく落ち込んでいました。その後、謝るのが怖くて時間がかかってしまったけど、自分の言葉で「ごめん」と言ったら、ちゃんと聞いてくれて仲直りできました。その時、
「言葉では人を助けることも、人を傷つけることもある」
ということを改めて思いました。
中学校での生活を通して、私はただ勉強をするだけではなく、人とどうやって向き合うかも学んでいるのだと気づきました。授業で考えを伝えたり、部活で話し合ったり、友達と気持ちをぶつけ合ったりする中で、前よりも少しだけ自分の気持ちを言えるようになったと思います。まだうまく言葉にできない時もあるけれど、「伝えよう」と思う気持ちは大切なんだと分かりました。
これから高校に行っても、その先の生活でも自分の考えを言葉にして伝える場面はもっと増えると思います。中学校で学んだ「気持ちをちゃんと伝えること」の大切さを忘れずに、これからも少しずつでいいから成長していきたいです。そして、間違えることを怖がらず、思ったことを素直に言える人になりたいです。

中学校 2年生

金メダル
大きな壁
林 愛里 清水中学校
大きな壁
清水中学校 二年 林 愛里
毎年、夏休みが近づくと楽しみな気持ちと同時に、重い気分もやって来る。その理由は、誰もが一度は経験するであろう「夏休みの宿題」という大きな壁が立ちはだかるからだ。夏休み前の私は、「今年こそ早めに全部終わらせて、残りは思い切り遊ぼう」と意気込む。だが実際に休みに入ると、油断してしまう。その小さな先延ばしが積み重なり、気がつけば夏休みが半分過ぎている。毎年同じ失敗を繰り返しているのに、なぜか私はこの壁を越えられずにいる。
夏休みが進んでいく中、友達から「宿題、半分くらい終わったよ。」と聞くと、胸の内に焦りが広がる。特に、まだ手をつけていない読書感想文の真っ白な紙を見ると、急に心細くなる。そこで私は友達と勉強会を開き、宿題を進めようとする。しかし、集まるとつい話に夢中になってしまい、宿題は一向に進まないまま、時間だけが無情に過ぎていく。そんな帰り道には、「また無駄にしてしまった」という後悔が押し寄せて来る。
そんなときふと、「海外には宿題がほとんどない地域もあるのに、どうして日本ではこれほど多くの宿題が出されるのだろう」という疑問が浮かんだ。その疑問は、宿題へのやる気を少しずつ奪っていくが、考えたところで宿題が減るわけではない。こうして私は毎年同じように過ごし、気がつけば最終日が目前に迫っているのだ。
最終日の私は、焦りや不安を通り越し、自分自身への情けなさでいっぱいになる。机の上に積まれたワークやプリントが、まるで私を責めるように見える。しかし、逃げるわけにはいかない。宿題は、手を動かさなければ終わらない。そこで私は腹をくくり、いつも以上に集中して宿題と向き合う。一つ終わるごとに安心感を覚え、二つ終わるごとに少し余裕が出る。しかし、そんなときにかぎって「やっていない宿題」が突然発見されることもある。それはまるで私の心を折るための罠のようで、胸がぎゅっと締めつけられるような気持ちになる。それでも泣き言を言っている暇はなく、ただ無心で手を動かすしかない。こうして毎年のように、深夜まで宿題と向き合うことになるのだ。
そして迎える夏休み明けの朝。寝不足のまま、私はイヤイヤ期の子どものように学校へ向かう。クラスメイトの「宿題終わった?」という言葉を聞くたび、なんとなく胸が痛む。提出した宿題は、自分の計画性の甘さを象徴しているようにも思える。私は心の中で「来年こそ早めに終わらせよう。」と固く誓うのだが、その誓いが本当に守れるのかという不安も残る。
それでも、夏休みの宿題という壁は、毎年私に大切なことを気づかせてくれる。自分の弱さや甘さを知ることで、少しずつ成長しているのだと思えるからだ。宿題が終わることはきっとない。しかし、この壁をどう越えるかは自分次第だ。来年こそは、大きな壁を少しでも余裕をもって乗り越えられるよう私はまた一歩ずつ進んでいきたい。
銀メダル
マイペースな私 ~最後に見つける大事なもの~
見谷 栞那 北陸中学校
マイペースな私
〜最後に見つける大事なもの〜
北陸中学校 二年 見谷 栞那
「栞那早くして!」
そう言われてハッとした。言われるまで気がつかなかった。
「ピッピッ」とレジを打つ音が聞こえてくる。お母さんはレジの前でお金を払う準備をしている。お父さんは「これもお願いします」と滑り込みでスナック菓子を購入。「ヤバイ!」ただいま私は大焦り中。
両親はせっかちだ。いや違う。私がマイペースなだけ。
行動がとんでもなく遅い、私。何かの病気というわけではなく、ただ単に処理スピードが他人と比較すると遅いだけ。遅すぎて皆からだいぶ呆れられているが、そんな自分自身を嫌いになったことは一度もない。
コンビニに行くと毎回嫌な思いをする。ただ食べたいものを選ぶだけでいいのに。私にはハードルが高い。
まず店内に入り、お母さんがカゴを持つ。お父さんはお菓子コーナー、お母さんは酒コーナーへまっしぐら。私も今日こそは負けまいと急いでスイーツコーナーへ。
「うわぁ…どれもおいしそう」陳列棚の前で立ち尽くす。ショートケーキ、クレープ、シュークリーム。どれも目が合った気がしてなかなか一つに決められない。ひとつひとつ味を想像してもどれもすばらしい。頭の中では「早く選ばなきゃ」と分かっているのに、心がついてこない。
「栞那早くして!」
バーコードがスキャンされる音と共に、遠くからお母さんの声が飛んでくる。その瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。悪気がないのはわかっている。それでも、その声を聞くと胸が少しだけ痛む。
しかし、ガラス越しにチラッと見えた小さな値引きシールに気づいたのは、そのときだった。誰も見向きもしない隅っこのプリン。私はそれをそっと手に取った。急いでいたら、きっと見逃していた。いつも遅い私は、いつも最後のほうに大事なものを見つける。
店に入る前にあらかじめ購入する商品を決めておけば良いじゃんと思うかもしれない。だが、そうすると“選ぶ”楽しみがなくなってしまう。これだけは決してゆずれない。
これはコンビニだけでなく、どの店に行ってもあてはまる。自分が嫌になる。それでも、やはり嫌いにはなれない。
正直、急かされるたびに少しだけ胸がチクッとする。皆と同じ速さで動けたら、こんな気持ちにならなくて済むのにと思うこともある。
それでも私は、立ち止まってしまう自分の目に映る景色が好きだ。
国語の授業ではその“遅さ”がカギとなる。物語や説明文を読むとき、たくさんの視点から筆者の考えを捉えることができる。先生も驚きの目を見せる。この目がたまらない。しかし、登場人物の気持ちや筆者の主張を考えすぎて、答えにたどり着くのはいつも最後。
時間は人の何倍もかかるけれど、これは私にしかできないことだ。
この作文を書いている今も、私の時計の針は止まっているようで止まっていない。周りから見ると止まっているかのように見えるかもしれない。でもね、これでも一生懸命動いているんだよ。チーターみたいに素早い人もいれば、ナマケモノみたいにのんびりした人もいる。一人ひとり違ってもいいじゃない。
これからも私は、きっと人より時間がかかる。急かされて落ち込むこともあると思う。そんな自分が嫌で、変わろうとしたこともある。それでも私は、自分の速さで考え、自分の目と心で世界を見ていたい。私の時計の針は私にしか進められない。マイペースな私は、今日も最後に大事なものを見つけていく。
銀メダル
地元愛
長尾 理愛 勝山北部中学校
地元愛
勝山北部中学校 二年 長尾 理愛
福井に住んでいると、静かで落ち着いた環境に囲まれている一方で、「都会に行きたいな」と思うことがある。クラスメイトの多くも進学や就職で都会に出たいと言っている。テレビやSNSで目にする都会の暮らしは刺激的で、憧れはなかなか消えない。福井の良さをわかっているつもりでも、都会への思いは心のどこかでくすぶっていた。
そんな気持ちを抱えたまま、先日、一人暮らしをしている姉の顔を見に行くという名目で東京へ行く機会があった。車で八時間の長旅。楽しみすぎて前日はよく眠れなかった。ようやく東京に着き、高速道路を降りた瞬間、目に飛び込んできたのは人も建物も輝く、まさに想像していた「東京」そのものの景色だった。気分が高まったまま、名所巡りや食べ歩き、ショッピング、絶景スポットでの写真撮影など、思いきりこの旅を満喫した。
しかし、姉のアパートに戻り、ベッドに横になったときどっと疲れが押し寄せてきた。充実した一日だったのは間違いない。それでも、慣れない都会のスピードに触れ、無意識のうちに多くの刺激を受けていたのだと思う。
特に印象に残っているのは、移動手段として使った地下鉄での光景だった。東京の地下鉄では、座っている人も立っている人もほとんどがスマホを見つめていた。福井とは違うリズムで時間が流れているようで、「都会ならではだな」と強く感じた。それに対して、以前家族でえちぜん鉄道に乗り、出かけたとき、車内では外の景色をぼんやり眺める人やおしゃべりに花を咲かせる人の姿があった。あのほのぼのとした空気を思い出すと、「やっぱり福井っていいな」と心の底から思った。
東京観光から約一ヶ月後、私は市役所の商工文化課で職場体験をすることになった。仕事内容は古文書の整理や文化財の維持作業、観光スポットの清掃など、地域の保護や発展に関わる仕事。正直、「見慣れた場所だし、もっと新しい発見がありそうな職場がよかったな」と思っていた。
ところが、実際に体験してみると、私が気づいていなかった勝山の魅力が次々と見えてきた。まず、人の温かさ。職場の方々は顔見知りではない私にも気さくに話しかけてくれた。それに加え、わからないことを何度質問しても嫌な顔をせず、その都度丁寧に教えてくれた。さらに自然の豊かさを改めて実感した。平泉寺白山神社での作業では、樹木や苔の歴史について教えてもらい、美しい緑に惹かれて普段よりずっと熱心に耳を傾けている自分がいた。私はこんな温もりと、心が落ち着く自然に囲まれて暮らしてきたのだと気づき、「自分はなんて恵まれているんだろう」と感じた。
「都会に行けば何でもある、何でもできる、幸せになれる」そんな思い込みを抱いていた私は、東京観光と職場体験を通して、福井の価値に気づいた。もちろん都会への憧れが消えたわけではない。それでも、「福井もいいな」と素直に思えるようになったのは私にとって大きな変化だった。
また、「地元を愛することは、自分の人生を愛すること」という言葉がある。自分の周りへの愛着が自分自身の生活への満足度や幸福度とつながることを表したものだ。私はこの言葉のように、自分が生まれ育った場所を大切にできるような人生を歩んでいきたい。これから進路を決めていく中で、私は「福井でもできる」ではなく、「福井だからできる」ことに注目していこうと思う。これからの人生、地元を愛し、地元に愛されるように生きていこう。そう心に誓った。
銅メダル
人生という的の中て方
伊部 日陽輝 北陸中学校
人生という的の中て方
北陸中学校 二年 伊部 日陽輝
中学校一年生の時、初めて大きな大会でとても緊張したことを覚えている。弓道の試合は四本の矢を引いて最も多く的に中てた(弓道用語で「当てる」という事)人が優勝する。しかし一本も中てることが出来なかった。練習で指摘されたことは出来ていたから失敗した原因がわからなかった。すると顧問の先生に「的に中てようとしていることが原因」と言われた。
弓は左と右の力が七対三の比率で引くと教えられている。右手より左手の力の方が強くなければならない。しかし、中てようとすると右手に力が入ってしまうことが多い。左手が緩んで矢をスムーズに放てなくなり、却って中らなくなる。中てようとするのではなく、綺麗に引こうとすることで左手に力が入りやすくなり、的に中るようになる。
初めに、「弓道は的中てではなく人生をより善くするための手段」と教えてもらった。「中てることが目的なのに、中てようとすると中らない。中てようとせずに綺麗に引こうとすれば中る」しかし、大会でその通りやるのは難しく、本当にその意味を理解していないのかもしれないと思った。
初め、弓の歴史から調べた。弓が使われたのは、約二万年前の旧石器時代に獲物を捉えるための手段としてである。それから戦うための道具として使われるようになったのが約三千年前の弥生時代からである。それから約千七百年前の古墳時代には、中国文化の影響で、「戦うための道具以外として使われるようになった事」が分かった。
孔子の教えの「射をもって、君子の争いとなす。」勝敗ではなく互いに敬意を払い、礼節を尽くす「射礼」の精神。これが現在の弓道の基になっている。
さらに鎌倉時代には流鏑馬などの行事として発達し、室町時代には流派が生まれ、技術が発達した。安土・桃山時代には、戦ではなく心身鍛錬の手段として使われた。
弓は弓術から弓道となり、狩猟や争うための手段から、教えを学ぶためのものとなった。
敵を倒すために技術を磨くことから的を中てるために人格を磨くこと。「的に中てようとしていることが原因」という先生の言葉が理解出来た。
弓道では二つの要素があると美しいと言われている。一つ目は「真」である。正しい構え、正しい動作で射られた矢は必ず中るという意味である。構えが間違えていたり、力の入り方が間違っていたりすると美しさに欠ける。
二つ目は「善」である。弓道には相手を憎む気持ちや争いの気持ちを持つと中らない原因となる。敵は自分自身で、落ち着いた「善い心」を養うことを常としている。普段と違うことが起こっても、落ち着いていつも通りに行動することが善い心を保つために大切である。
これらの真の正しい技と善い心が合わさって「美」が完成される。人生も同じように、正しい行いをして、善い心を持つこと。この二つがあって美しいと言える。
人格が変わると人生が変わる。弓道は剣道や茶道と同じ武道の中に入る。これらに入っている「道」は何を意味しているのか。人生をより善くするためにはどうするべきかを剣や弓やお茶を通して学ばせてくれる。弓道の歴史から分かるように手段から精神、いわゆる「道」となって残っている。現在では武道以外にSNS、AI、投資など色々なものが生まれている。それらが手段だけとなってはいけない。「道」の精神を学び、なんのために使うのかを考えなければならない。
これからも「真」と「善」が合わさった「美」を完成させることを目標にし、人格を変え、より善い人生となるように弓道の精神を学んでいきたい。
銅メダル
小さな思いやり
田中 寧音 勝山北部中学校
小さな思いやり
勝山北部中学校 二年 田中 寧音
みなさんは見えなくても伝わる思いやりって、どんな形があると思いますか。私はもともと「思いやり」というのは特別なときだけに使う言葉だと思っていました。誰かが困っているときに助けたり落ち込んでいる人を慰めたりすることのような大きな優しさのことだと思っていました。しかし、本当の思いやりは日常生活での小さな行動の中にもあると祖母のおかげで気づくことができました。
小学校低学年のある日、私は祖父と祖母の家に行ってきました。私の親戚や家族はクリスマスなどの行事があるたびに祖父母の家に集まっています。祖父母の家に行くといつも花壇におもちゃのヘビが仕掛けられていて、家に入ると祖母がどこかに隠れています。その日も祖父母の家に行くことが楽しみでした。久しぶりに親戚みんなが集まり朝からいつもよりも賑やかでした。親戚が帰る時間になり、私と祖母で外に出てお見送りをしました。そのとき外は夕方で少し肌寒かったです。私は早く家に入りたいと思いながら手を振りました。車が少し進むと親戚が私達の方を向いていなかったのでもう手は振らずにだんだん遠のいていく車を見ていました。すると祖母が、
「こっちを見ていなくても、車が見えなくなるまで手を振るんだよ。」
と言いました。私はそのときなんで誰も見ていないのに手を振るんだろうと疑問に思いました。でも祖母に言われたとおりに車が見えなくなるまで手を振り続けました。祖母を見てみると優しい笑顔で車に手を振っていました。その姿を見て、胸の中がじんわり温かくなりました。祖母は私達のことをいつまでもこんなふうに見送ってくれていたと思うと嬉しくなりました。
私はよく学校で人を思いやることは大切だと学びます。でもなにが思いやりなのか未だに曖昧です。自分も相手もいい気持ちになるものが思いやりだと思っていますが、相手がいい気持ちになると思ってしたことでも相手にとっては迷惑かもしれません。しかし、祖母から教えてもらった少しの行動は思いやりだと小学校低学年だった私もはっきりと分かりました。中学校二年生になった今なぜ祖母があのことを言ったのか考えてみると、見られているときだけでなく相手が見ていないときも思いやる気持ちは続けるものだと祖母は思っていたのかもしれないと思いました。そして、気をつけて帰ってねという気持ちもこめられていたのかなと思いました。
祖母の家から帰るとき、今でも私達のことが見えなくなるまで手を振ってくれています。祖母の優しさは言葉だけではなく行動でも伝わってくるのだなと思います。手を振る姿を見ると毎回心が温かくなります。そして何年たっても思いやる心を忘れない祖母をとても尊敬しています。小さい頃は手を振る祖母に気づけていなかったから祖母が手を振っている姿を想像すると少し申し訳ない気持ちになります。でもまだ私が小さいときに祖母がしている思いやりに気づくことができてよかったと思います。
祖母に大切なことを教えてもらったあの日から今まで、私は帰る人が見えなくなるまで手を振るように心がけています。たとえ相手が振り返らなくても、その気持ちはきっと伝わると信じています。思いやりというのは知らないうちに誰かがしてくれていると思います。これから私は、その思いやりに気づき、祖母のようにどんなときでも相手のことを思いやれる人になりたいです。

中学校 3年生

金メダル
三日坊主の才能
赤井 芹奈 北陸中学校
三日坊主の才能
北陸中学校 三年 赤井 芹奈
私の部屋には、いくつもの遺品が残っている。三日で諦めた細かい塗り絵、途中で挫折した参考書、数回だけ使われたお菓子作りの本。これらは全て、私が熱い思いをもって手に入れ、そしてわずか数日で放り出した「三日坊主」の残骸だ。「また続かなかった」と新しいことを始めるたびに、私は自分の根気のなさに落ちこんできた。世の中では「継続は力なり」という言葉がよく使われ、一つのことを長く続ける人こそが立派だとされている。そんな観点で自分を見れば、私は間違いなく落伍者だった。
しかし、この正月、従姉妹の言葉が私のそんな暗い思いを晴らしてくれた。私の従姉妹は一つの趣味を小さい頃から何年も続け、その趣味を仕事にしている。いわゆる「継続の達人」だ。対して私は、この一年だけでも、ダンスを始めては挫折し、ダイエットに燃えては三日で倒れ、独学のイラストも続いていない。そんな自分が恥ずかしくて、「何しても三日坊主なんだよね。」と笑ったとき、従姉妹が意外な顔をして言ったのだ。「でもその三日間で学ぶこと、全部自分の知識になってるから羨ましい。」と。従姉妹が言うには、私と話すと、毎回知らない分野の面白い知識が飛び出してくるのが楽しいのだという。確かに、思い返せば今までの親戚の集まりでも、私は三日坊主でかじった知識をあちこちで披露していた。
そのとき、ふと気がついた。三日間でやめてしまったとしても、私の頭の中には三日間分の新しい知識が確実に刻まれている。一ヶ月を一つのことに費やすのも素晴らしい。けれど、私はその一ヶ月で十個の新しい世界に触れることができる。それは「飽きっぽい」という欠点ではなく、「未知の世界へ飛びこめる才能」と捉えた。
思えば、「三日坊主」ができる人は、常に人生のアンテナを高くしている人だ。「面白そう」という直感に従い、実際に道具を揃え、最初の一歩を踏み出す。この一歩のエネルギー、勇気というのは、実はとてつもなく大きい。多くの人が「大変そうだから」「難しそうだから」と立ち止まっている間に、三日坊主の私はすでに新しい挑戦をしようとしている。かつて友人からも「飽きっぽいよね」と言われたことがあり、それは自分の中で消えないコンプレックスだったが、従姉妹の言葉のおかげでプラス思考に切りかえることができた。
私は、一つの道を極める職人にはなれないかもしれない。その代わりに、無数の三日坊主を積み重ねていく生き方を選びたい。三日分、また三日分と、新しい体験を重ね、それがいつか思わぬところで結びついたとき、これからの人生の選択の糧になるに違いない。次に私の部屋に加わる「遺品」は何になるだろうか。それは、数日後に放置される運命かもしれない。けれど、その三日間で私は、昨日まで知らなかった言葉を知り、見たことのない色に触れ、新しい自分と出会うことになる。そう考えると、かつては恥じていた自分の飽きっぽさが、今となっては少し愛しく、誇らしいものに感じられる。
これからも私は、胸を張って新しい世界へと飛びこみ続けようと思う。「三日間の挑戦」を何回も積み上げた先には、どんなに広大で、どれだけ美しい景色が待っているのだろうか。
銀メダル
夢を「叶」えるために
松原 清乃 北陸中学校
夢を叶えるために
北陸中学校 三年 松原 清乃
「日本舞踊 花柳流の名取になる」
今の私の夢です。名取は主に日本舞踊などの芸道で、師匠から芸名を許され名乗ることができ、所属する流派の一人前の踊り手として認められた証になります。流派によって名取になれるまでの条件に違いはありますが、 名取試験を受けて合格しなければいけません。
私は四歳から日本舞踊を習っています。始めたきっかけは祖母からの誘いでした。私の師匠である花柳双福先生と祖母が友人であることのご縁からです。初めて踊ったときの楽しさは、経験を重ねていくうちに、日本舞踊の世界をもっと知りたいという気持ちになり、知っていくうちに、深くこの世界に入りたいと思うようになりました。そして、「日本舞踊花柳流の名取」というまずはじめの目標を掲げました。
花柳流の名取試験を受けるには、満十六歳以上という一つの条件があります。そして、試験では家元の前で課題曲を踊ります。中学三年生の秋ごろから名取試験の課題曲のお稽古が始まりました。普段とは違った緊張感が漂うお稽古場に、私はいよいよだなという気持ちで毎回お稽古に臨んでいます。
私は中学三年生に進級してまもなく体調が優れず、しばらくお稽古を休みました。私が休んでいる間に他のお弟子さんたちのお稽古がなくなることはもちろんなく、同世代の子たちがお稽古を続けていることに不安がありました。また、必ず出演していた舞台発表も当然出演することはできず、一方で彼女たちは舞台の機会を通して経験を積んでいることにも不安と悔しさがありました。大きな舞台で踊る彼女たちの姿を見て、その悔しさが今まで以上に踊りに対するエネルギーになっただけでなく、客観的に自分を見つめ直し、日本舞踊と真剣に向き合う機会になりました。
「日本舞踊 花柳流の名取になる」
私は、この目標を明確に抱いてから、この目標をいろんな人に話すようにしています。「叶」という漢字は「口に十」と書き、「十人以上に口にすることで目標が叶う」と父から聞きました。以前の私は、自分の夢を話すことは恥ずかしかったり、叶わなかったときのことを思うと、内緒にしておきたいとの気持ちが強くありました。しかし、父から「叶う」の成り立ちを聞いてからは、はっきりと口に出して夢や目標を言うようにしています。
名取試験に向けてのお稽古は、最低一年間はみっちりしなければいけないと先生に言われています。三月、早生まれの私は、高校二年生のときに受験する予定でいます。体調管理をしっかりとして、四歳のときに私と日舞を出会わせてくれた祖母、常に日本の伝統文化の継承課題に向き合いながら、優しく厳しく楽しく踊りの魅力を教えてくださる花柳双福先生、東京歌舞伎座に連れて行ってくれたり、本物に触れる機会をいつも用意してくれる父、発表会の準備や送迎などいつもそばにいてくれる母、舞台発表のたびにいつも「誰よりも清乃ちゃんが一番うまい」と言ってくれる妹、発表会を見に来てくれる友達など、みんなに嬉しい報告ができるように、日々精進していきたいです。名取試験の合格は今の大きな目標の一つですが、私の踊りを見て誰かが元気になったり、笑顔になる、そんな踊り手になりたいですし、これからもいろんな人に応援し続けてもらえるような存在にもなっていきたいです。
日本舞踊を続けることができる環境を当たり前だとは思わず、感謝の気持ちを持ちながら謙虚に、そして真摯な気持ちでこれからも大切に過ごしていきたいです。
銀メダル
私たちの伝統と少子高齢化
笠松 優翔 勝山南部中学校
私たちの伝統と少子高齢化
勝山南部中学校 三年二組 笠松 優翔
皆さんは「少子高齢化」という言葉を知っていますか?意味は言葉通りで、出生率の低下により年少人口が減少し、高齢者の割合が増加する現象のことです。僕の住んでいる町でも少子高齢化という言葉をよく耳にします。僕の住んでいる地区では、毎年二月頃に勝山を代表する伝統的な祭りである左義長まつりが行われています。華やかな音楽に合わせてういたり太鼓を叩いたりする左義長まつりには毎年たくさんのお客さんが訪れます。しかし、近年子供の数が減少し、櫓のお囃子や太鼓の叩き手が少なくなってきました。僕の住んでいる地区でも子供の数が少なくなってきていて、毎年盛り上がる子供ばやしもだんだん殺風景になってきました。とても悲しいです。
僕が左義長の練習をするようになったのは、三歳ぐらいの頃からです。その頃は地区の子供の数が多く、練習会場も賑やかでした。僕の父は昔から地区の左義長の先生をしています。その父の影響でみんなより少し早く練習をし始めました。最初の頃はとにかく年上のお兄さんお姉さんの真似をして、リズムや叩き方を覚えました。家でも座布団を床に敷き、ばちで座布団を叩き練習しました。父はいつも一緒に練習してくれました。太鼓の面白さにはまり、今でも毎年櫓に登り、太鼓を叩いています。同い年の中学生の子は篠笛が吹け、いつもお囃子の練習に参加しています。その子に憧れ今、一生懸命篠笛を練習しています。
僕は今から二年ほど前に少子高齢化について考えるようになりました。そのきっかけになったのが、地区の左義長まつりで作られる行灯を見たときです。僕が住んでいる地区の住民の間で募集した川柳を書き、その横には絵を描きます。僕がたまたま見た行灯には「少子高齢化」という文字が入っていて、その言葉がすごく頭に残りました。その川柳にはたしか「少子高齢化で太鼓の叩き手が子供より大人の方が多い。」ということが書いてあった気がします。確かに昔に比べて地区の子供の数は減り、「左義長らしさ」というものを失った気がします。左義長まつりの屋台も一つの例です。昔に比べ、屋台の数も急激に少なくなりました。これは「人口減少」により発生した問題ではないかと思います。しかし、近年観光客の減少にも注目しています。今から八年前である二〇一七年の左義長まつり来場者数は約十一万人ですが、去年である二〇二四年の左義長まつり来場者数は約九万人と、七年間で約二万人も来場者数が減少しています。このままでは二〇三二年には約七万人、二〇三九年には約五万人とだんだん観光客が減っていくのではないのかと不安になります。このような自体は左義長まつりだけではなく、全国各地で起こっています。またインターネットやSNSの普及により、若者が地域のまつりなどに参加することが少なくなり、少子高齢化が進む傾向にあると言われています。こうした地域では町の活性化を目標にし、地域の伝統を受け継いでいこうとしています。
このように僕たちは少子高齢化や人口減少などの社会問題と日々戦いながら生活しています。昔とは違い、やりづらくなったことや、社会の動きが地域の伝統を変化させることがこれからたくさんあると思います。だからといってこれらの問題を解決するにはたくさんの努力と時間がかかると思います。だから、これらの社会の動きに合わせたやり方で伝統を受け継いでいってほしいと思います。左義長まつりのような守り抜いてきた地域の伝統をこれからも守り続け、工夫をして活性化させていってほしいと思っています。
銅メダル
出会えて良かった、ありがとう
坂 夏江 勝山中部中学校
出会えて良かった、ありがとう
勝山中部中学校 三年 坂 夏江
「別れ」がある時、その先にあるものは必ず「出会い」だと思う。人との出会い。考え方との出会い。環境との出会い。次のステージへ進むためには、数多くある選択肢の中から自分で決断しなければならない。三年生の一学期、高校選択で悩んでいた私の心を動かしたのも、出会いだった。そこで、中学校生活も五ヶ月をきった今、大人になるということは、どのようなことなのか中学校で得た経験を元に考えた。
中学校最後の体育祭を成功させるために、クラス一丸となって頑張ろうと団結した七月。期待を胸いっぱいにしたクラスメイトの顔は、体育祭に向けての熱い想いがにじみでていた。ところが夏休みのある日、各リーダーが不在の練習日に物が壊れるという事件が起きた。次の日にこの出来事を知った私は、徐々にみんなのやる気が失われていく様子を見て悲しくなった。もう一度、目的を全員で確認しようと何度もクラスで話し合った時間も、隣のクラスはその間に練習していると考えると、悔しさがあふれた。ダンスが形になってきた頃、高校の体育祭があると知り、団チアと呼ばれる三年生を中心にした応援リーダーで、応援合戦を見に行った。その時に私たちの目に映った高校生は、全力で応援を楽しむ姿であった。「この応援を越えよう」とつぶやいた友達と共に、私たちは応援に本気で向き合った。
夏休みも終わり、赤組全体での応援練習が始まった。全体の指揮を執るようになった私は、みんなの表情を一番見ることができた。声の大きさが勝利の鍵になる今年の応援合戦。「出会えて良かった、ありがとう」と叫ぶところが一番好きだった。三年生が全力で声を出す姿を見た一、二年生も、顔をくしゃくしゃにしてまで取り組んだ。暑さの中、指示を出すことにいきづまったときは、各学年の赤組の先生が、気持ちのこもったアドバイスをくださった。たくさんの支えの中だんだんと声がでてきて、青い空の下、練習した時間は、この夏一番の鮮やかな思い出になった。団長の声、団チアの声、そして一般応援の声を聞いて、「気持ちが一つにまとまったときのパワー」は、人の心に直接響くものであるということに感動した。体育祭前日は、限界を決めずに「最高なものに」という想いで本番を迎えた。
体育祭当日。三年生のほとんどがすでに声を枯らしていた中で清々しい朝に応援合戦を終えたとき、先生の顔は笑顔で満ちていた。結果はまだ出ていなかったが、達成感を味わって、私たちはとても嬉しくなった。表彰式で結果が発表され「完全優勝」を遂げた私たちは自然と涙があふれた。競技も全力で、応援も笑顔で終え、学級目標である、「全力全勝」「全力全笑」を達成した日であった。私は、友達と一緒に応援をつくりあげた日々を忘れはしないだろう。そして、赤組のみんなに出会えて良かったと心から思った。
大人になるということは、無数の出会いを一つ一つ感謝して今を楽しむこと。さらに、時に訪れる悲しい別れも胸にきざみ、大切にすることであると考えた。今年の夏は、赤組のみんなと出会い、最高な思い出をつくった。卒業式。少し気が早いかもしれないけれど、今の友達や先生と過ごす時間はあとわずかであることに寂しさを感じる。けれど、その先にはまた、素晴らしい出会いが待っていると思うと、今の私は希望に満ちている。新たな道に踏み出すとき、みんなとつくった経験が自信になり、背中を押してくれると信じて。
銅メダル
「大人になる」
白﨑 暖乃 勝山中部中学校
「大人になる」
勝山中部中学校 三年 白﨑 暖乃
私は、正しい道を歩ける人間になりたい。
大人になるとい言葉には、「年齢」と「精神」という二つの側面がある。法的には、十八歳で大人として扱われるようになる。それと同時に、今までのように周りの人に匿ってもらえなくなり、自立して生きていかなければならない。そうするためには、成熟した精神を持たなければならない。社会の中で生き抜かなければならないからだ。社会では常に人と人とが関わり合って生きている。他人に流されて折れてしまわないように、確立した意志が必要である。誰しも、人生において自分のやりたいことを全うしたいものだ。その人生において、私のやりたいことの一つは、後悔するようなことを減らすことだ。
正しい道を歩くための第一歩は、自分を見つめ直すことだ。普段の生活を思い返してみると、まずははじめに私は自律することができないと思った。勉強や、生活習慣や、言葉遣いなど小さなことの積み重ねが、自律のできない人間になるという大きな問題を生んでいる。また、できなかったことを反省せずに、他にやらないといけないことがあった。時間がなかった、無意識にやってしまう、と言い訳をして問題に向き合わずに目を背けてしまう。しかし、「自分はできない」という言葉に逃げてはいけない。目の前のことがこなせないなら、それ以上のことは何もできないからだ。自分がやろうとしていることが正しいのかよく考えなければいけない。他人から見て正しいかどうかではなく、それが本当に自分のありたい姿なのか、自分に正直に考えるのだ。
このようなことは急にできるようなことではなく、少しずつ少しずつ変化していくものだ。小さな行動の一つ一つが大事だ。今からできることとして、まずは言葉に気をつけるようにしたい。私は言葉を発したあとから、あれは良くなかったなと気づき後悔することがよくある。例えば、弟がテストの点数が悪かったとテストを見せてきたとき面白がってあおったり、友達同士でお互いに冗談を分かっていても良くない言葉を投げつけ合ったり、いつもあとになって後悔する。しかし、すでに相手に届いた言葉を取り消すことはできない。それが相手を傷つけるものになるかもしれない。自律のできる人間にならなければいけない。その場の楽しさに流されず、立ち止まらなければいけない。言葉には大きな力がある。人を傷つけるものになるか、人を楽しませるものになるかは自分次第である。取り返しのつかないこともある。自分でだめなところに気付けるうちに直さなければいけないことだ。また、言葉には自分の考えや性格や品が表れる。自分の姿をよく表す、鏡のような存在だ。鏡の前の物体がそのままの形で映る。言葉も同様に自分の内面がそのまま言葉に映し出される。鏡に映った物体がひとりでに形を変えるというのはありえない。内面が変わらないと言葉も変わらないのだ。正しいか正しくないか判断できる頭を持つことができたら、言葉遣いも変わっていくだろう。
「正しい道」とは漠然としたものだ。自分が正しいと思う方を判断し、選択することはどんなささいなことにもともなっている。間違えることもあるけど、間違いから学び、同じ過ちを繰り返さないようにする。選択することを何度も繰り返し経験を積み重ねていくことでいずれ正しい道を歩けるようになる。世界には八十億人の人がいて八十億通りの生き方があるので、自分なりの道をみつけて、後から振り返って納得のいく生き方をしたい。 
まずは成熟した精神と教養を身につけることだ。十八歳になるまでに色々な経験を積み、正しいことを選ぶ判断力を持ちたい。人間は毎日三万回以上の選択をしているらしい。できない自分から逃げず、小さなことも自分の頭でよく考えて選択していこうと思う。
銅メダル
最後の大会
鈴木 峻 勝山北部中学校
最後の大会
勝山北部中学校 三年 鈴木 峻
「ウーーー」サイレンの音がなって試合が終わった。三年生最後の大会。こんなにも試合に負けて悔しいと思ったのはあの日が初めてだった。
夏の大会の地区予選。僕は試合に出ることができなかった。同学年の友達や後輩が試合に出ているのを見ているだけだった。勝って嬉しい気持ちと試合に出られない悔しい気持ちが混ざった複雑な感じがした。僕は「次の県大会は絶対に試合に出るぞ」と思いながら毎日練習した。僕は他の部員と違って中学校から野球を始めた。他の部員はみんな小学校から始めていた人ばかりだ。だから人一倍練習した。みんなからも「最近お前めちゃくちゃ野球うまくなったな」と言われた。とても嬉しかった。「この調子でいけば県大会はスタメンで出れるぞ」と思った。
ある日のミーティング。とうとう県大会のスタメンが発表される。僕はとても緊張した。心臓がドクドクと大きな音をたてて、今にもはち切れそうな感じがした。自分の順番が近くなるにつれて、心臓の鼓動がどんどんと大きくなる。そろそろ僕の番だ。心の準備はできていた。呼ばれたら大きな声で返事をしようと思った。しかし自分の名前は呼ばれなかった。僕はとてもびっくりした。それと同時にとても悔しかった。涙が出そうだった。しかし、今ここで泣くのは違うと思って必死に涙をこらえた。ミーティングが終わった後、顧問の先生が僕を呼び止めて言った。
「お前は他の奴らと違って中学校から野球を始めた。しかしお前はそれを言い訳にせずに練習を人一倍頑張った。俺もお前を出したいと思っているがチームのためだ。わかってくれ」
それを聞いて必死にこらえた涙が一気に出てきた。自分もそのことは分かっていたけれど受け止められずにいた。「努力が絶対に報われるなんて嘘だ」と思った。
そしてその後の練習はやる気が入らず、エラーをすることも多くなった。チームメイトからも「大丈夫か、ミーティングのことまだ気にしてるのか。大丈夫だって、俺もそういうのあったから。」と慰めの言葉をもらった。しかし僕には全部皮肉にしか聞こえなかった。
そして県大会当日。会場に向かうバスに全員が乗った。朝早かったのでみんなバスの中でぐっすりと寝ていた。僕は悔しさで寝ることができなかった。そして会場に着いた。始まるまで時間があるのでみんな練習を始めた。僕も練習を始めた。みんなとても緊張していて試合に出られない僕もなぜか緊張した。
試合が始まった。僕たちのチームの攻撃は後だったので、先に守備をした。相手はとても攻撃が強く、三点も取られてしまった。僕は必死にみんなを応援した。僕たちのチームの攻撃の番。相手に追いつこうとみんな必死だった。その焦りのせいで初球からみんなバットを振っていた。僕はベンチから「落ち着いて」「ボールをよく見て」「練習どおりに」と、いろいろ声をかけた。僕たちの攻撃が終って相手との点数の差は一点。しかし、また相手に突き放された。それの繰り返しで七回裏、最後の攻撃。相手との点差は一点。しかし、残りの一点をつめることができず負けてしまった。僕は最後の大会、一回も試合に出ることができず終わった。
最後のミーティング。みんな泣いていた。しかし僕だけは泣けなかった。ミーティングの後、また顧問の先生に呼ばれた。
「努力しても報われないときがあるが、その努力はいつか開花する」
そのとき、胸の中の闇が一気に消えた。今まで、試合に出ることしか考えていなかったが、この言葉を聞いて、僕の努力が誰かに見てもらえているんだと思った。
これからの人生、僕は努力することを諦めないで生きていきたい。